喪失

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 その時刻も相嶋は普段と変わりなく、確認待ちの書類を持って、偶然にその部屋を訪れていた。
「明日までに押印をお願いします」
「明日だな、そこに挟んでおいてくれ」
 手元の書類を睨みつける上官の言葉に従い、壁のクリップに持参書類を挟み込む。
 相嶋の用事は、それで済んだ。
(明日の、夕方になるかな……)
 そんなことを考えながら部屋を出ようとしたとき、部屋の中で電話が鳴り響き、机の端に座っていた青年が受話器を取り上げた。
 何気なくそちらへ目をやり、すぐに目を逸らして、相嶋は普段通り右手をドアノブへと伸ばした。
 しかし電話口に叫ばれた名前を聞いた瞬間、全身に痺れが走るように、身体の動きが止まった。

「……(※)が……被弾……?!」

(…………――え?)

 心臓が冷たい手で鷲掴みにされたように、胸のあたりが一瞬にして冷え込んだ。
 電話口で繰り返された名を、彼はよく知っていた。自国海軍の所属艦名で、他国へ派兵された一隻であったはずだ。
 いや、それだけではない。つい最近、見た覚えもあったのだ。
『今度はどこのフネだって?』
『確か……外国に行くやつだ』
『覚えてないのかよ』
 聞いた言葉に笑って、その日のうちに艦の名前を調べた。……あれは、数週間も前だっただろうか。
 そのときに名を目にした、ということは。

 友人が、乗艦している。

 何故だか霞がかかったように、頭がぼんやりとしていた。一部の思考回路だけが、ぷつんと断絶させられているような気がする。
 感情の代わりに理性が回転して、起きうる対外交渉の可能性をあげつらう。調査団編成を想起し、国家間裁判の事例集の装丁を思い起こさせ、(あの本どの棚にあったかな……)などと考えながら、――ただ一つ、やつは無事かと考えることだけは、なぜかできなかった。

 このまま知人が何事もなく帰ってくればいい。
 もしも帰ってこなければ、その時は。

 そこから先は、頭の中のなにかが、考えることを拒否していた。







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