帰郷シリーズ 7 贅沢 〜故郷に二色編〜

Back - Index - Next



 バスの待合所は、爽やかな風が吹き抜けていた。理想の昼寝場所がこんなところにあったのかと、磐佐の肩に頭を預けてぐっすり一時間ほど眠り、途中で買った駅弁を掻っ込む。
 バスに乗り込んでからは、誰もいないのをいいことに、運転手の近くに荷物を置いた。
「なぁなー、あの段々畑、一枚ずつ人がのぼって植えてんの?」
「ちょ、おい川のほらあそこ、あれ、あれって魚か? へ? ……鯰ぅ?!」
「へぇ、娘さんが! そりゃぁ可愛いでしょうねー」
 人気のないバスで磐佐の袖を引き引き外の景色を指差しては運転手と意気投合し、再びとは磐佐に惰眠を貪らせないでいるうちに、バスはいつのまにか峠を越えていたらしい。
「おい、次降りるぞ。ほらそこ、兄貴が待ってる」
 指差した先を見れば、バス停に人影が見える。運転手が「迎えは亮祐か」と言うと、磐佐が「姉貴たちは旅行中で」と答えながら荷物を担ぎあげた。知り合いだったのかと相嶋が思ううちに、バスが止まる。
「婿は大変だなぁ、今日は男同士で羽伸ばすのか」
「えーっと……義理の兄だっけ?」
 相嶋が指先で小銭を数えながら、席を立った磐佐を振り仰いだ。
「あぁ、姉貴の婿さん兼幼なじみだ」
 そう言いながらバスを降りて、磐佐が待っていた男と何か話している。相嶋も運転手に礼を言って(「じゃ、また帰りに!」)バスを降り、知人の背から見知らぬ男を覗き見た。
「来るならこのバスか、その次かと思ったんだ。……お、そっちが例のトモダチか! 紹介しろよ」
 目が合った途端、笑顔を見せられた。ずいぶん軽い。年もそう上には見えず、精悍としたという形容が似合いそうな好男子だ。
「どうも、相嶋です。いつも磐佐を世話してます」
 ノリが近いのを助かったとばかりに、笑い返して片手を差し出した。
「互いに苦労すんなー、こいつの義理の兄だ」
 笑顔で固い握手を交わし、それだけでは他人行儀だとばかりに、互いに肩をたたき合う。
「どうせこいつも呼び捨てなんだし、亮祐って呼んでくれればいいよ。軍隊じゃどうか知らねーけど、敬語も別にいらねーからな。友達だと思ってくれ」

 襖を外した、そのあまりの広さに、相嶋は口をあんぐりと開けて固まった。
「すっげぇー……!」
 はるか向こうの庭では、龍を模して剪定された庭木が火を噴き、亀が空を仰いでいる。心地よい風が草木を揺らす音が、藺草の香りとともに身体を撫でていく。
「必要なら襖を閉めてくれればいいからさ。好きにくつろいでくれ」
 家主がそう言うのを待たずに、磐佐が荷物を放り出し、伸びをして南向きの縁側に座り込んだ。倣って隣に座ると、思わず知らず深い吐息が漏れた。
 目の前には青田が広がっている。波のように、風が紋を描いていく。潮の音を思わせるさわさわというざわめきが、景色を眺める相嶋の耳朶を満たしてくれた。
「あー……幸せだー……」
 都会で荒んだ心が自然で癒されるなど、所詮紙上の話だと思っていた。しかしこうしてぼうっと座っていることの、なんと心地良いことだろう。
 後ろについていた手をずらし、そのまま大の字に横たわる。縁側の柔らかい冷たさと畳の温かさが背に、身体の上は日差しと光と風の通り道。
「和むー……」
「そりゃぁよかった」
 そう言いながら、磐佐もその場に横になった。二人並んで日差しを浴びながら空を見詰めていると、いつまでもこうして呆けていたくなる。
「……あとで、俺もなんか仕事手伝うわ」
 このままでは寝てしまう、そんな勿体ないことはできない。
 勢いよく上半身を起こして相嶋がそう言うと、庭から「客人に手伝わせたりなんかできねーって」と笑い声がした。声を聞き、磐佐が大儀そうに身体を起こす。
「あれ、それどしたの」
「井戸で冷やしてたんだよ。半分こな」
 よく冷えてるぞと、家主が手元の西瓜を投げて寄こした。相嶋が受け取ると、磐佐が立ち上がって亮祐の腰元から鉈を取り、相嶋の掌の上で真っ二つにぶった切った。
「どこが『おもてなしできない』んだよ、贅沢の極みだろ! これ、かぶりついていいの?!」
「シャツが汚れていいならな」
 磐佐の言葉を最後まで聞かず、景気良く顔を突っ込む。一度やってみたかったのだ。「いい食いっぷりだな」と家主が言って、磐佐の手からもう半分を奪い取り、同じように顔を突っ込んだ。
「あれ? 半分てお前らの分なの? 俺のは?」
「まだ井戸にあるから、欲しけりゃとってこい」
「だってさ。井戸に落ちんなよ」
 相嶋が顔をあげると、磐佐が渋々と言った調子で腰をあげた。「なんっか、おかしくないか……」と言いながら、その長身が家の裏へ消える。
 残された二人は目を見合わせて、にやりと拳を突き合わせた。


Back - Index - Next




@陸に砲台 海に艦