帰郷シリーズ 6 道行 〜故郷に二色編〜

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 落ち付けという磐佐の声も聞かず荷物を自動車へ放り込み、逸る気持ちのままに最寄りの駅へ車を急がせた。
「待てって、まだお前の親父に挨拶」
「大丈夫大丈夫、火急の用事だと思ってくれるさ」
 磐佐の慌てた声を宥め、駅に着くやいなや運転手を送りかえす。「お気をつけて、いってらっしゃいませ」という言葉を背に、頭の中は旅路のことでいっぱいだ。
「で、どの列車に乗ればいいんだ?」と財布を取り出しながら訊ねると、ようやく観念した磐佐が財布を取り出して表示板を確かめながら、「ちょっと遠いぞ」と口にした。
 無論、相嶋にとっては望むところである。総監部やら管制室やら行ったり来たりと移動は多いが、仕事上の遠出で苦労したなど、ほとんど経験がない。そも山間部への用もなし、港から港への移動にでは艦船に乗せてもらうこともあり、久々の列車移動は心が躍る。
「あ、ちょうど来たみたいだ。あれに乗るぞ」
「おー、運がいいな」
「途中で乗り換えるけどな」
 うきうきと大きなトランクを引きずって、磐佐の後に続く。

 数時間も揺られる間に、最初こそ多かった乗客も一人二人と減っていった。列車を乗り換えて川を越え、窓の外に田畑が広がり始めたころには、車内には何ともいえない静けさが広がっていた。
 窓の外を、何枚もの段々畑が過ぎて行く。
「なんか、兵学校思い出すなー」
 のどかな風景が目の前に広がる。自然に囲まれているあたり、本当にそっくりだ。何枚もの写真を見せられているようで、窓にかじりついたまま、相嶋が声をあげた。その声も、端から風にさらわれていく。ばたばたと風が耳もとで騒ぐ。
「あぁ、勉学に励めそうだろ。…………」
 磐佐が何か言った気がしたが、よく聞き取れなかった。だがあまり気にしない。
 渓谷を越え無人駅に停車すると、誰もいない駅というのを初めて目の当たりにした相嶋は、思わずフォームに降り立ってみたりした。線路の下に轟々と口を開ける崖を覗き込んだり、沿線の果樹園の香りを胸一杯に吸い込んだりしているうちに、前方にトンネルが見えた。
 気付いた相嶋がようやく顔を室内に戻し、勢いよく窓を閉める。同時に、列車がトンネルに突入した。あらかじめついていた照明が、ようやく用をなす。車内は少し薄暗く、どこかの窓が開いているのか、かすかな煤の臭いが鼻をついた。
「おや軍人さん、里帰りかいね?」
 しわがれた声に、相嶋が弾かれたように振り返った。見れば廊下を挟んだ反対のコンパートメントに、顔中皺くちゃにした人の良さそうな老嫗が、小さな背を曲げて座っている。恩給の鞄で職を知ったのだろう。
「えぇ、こいつの実家へ行くんですよ」
 人のよい笑みで老嫗に向き直り、相嶋が磐佐を指し示した。しかし返事がない。振り返って見てみると、窓枠に肘杖をついた磐佐は、いつのまにか安らかな寝息を立てていた。
「……おいおい、俺、どこで降りるのか分かんねーよ?」
 思わず小さく呟いたが、老嫗は顔中をしわにしてにっこり笑った。
「疲れちょりんなさるんじゃろう」
 邪気のない笑みとは、このことを言うのだろうか。いろいろな女性を知っている相嶋を惹きつけるだけの力が、その微笑みには秘められていた。
「……少しお話しません?」
 そう言いながら席を移ると、彼女は再び可愛い笑顔を見せて頷いた。列車がトンネルを抜け、車内に明るさが戻った。

 どれほど話し込んだだろうか。列車がどこかの駅に滑り込むと同時に、磐佐がゆっくりと顔を起こした。
「ん……」
 小さく呻いて身体を起こし、辺りを見回している。駅名を伝えると頭をかいて上半身を起こし、「もうちょいだな」と呟いて伸びをしながら、首を巡らせて相嶋を振り返った。
「そっちの席に移ったのか。……あれ、金平糖なんか持ってたっけか?」
「さっき、知らないおばーちゃんからもらってさ」
 先程の駅で降りていったのを見送った。別れ際に貰った金平糖を口に放り込んで、「イイ人だなー」としみじみ吐き出す。甘くて素朴な味がした。もとより嫌いではなかったが、この一瞬で大好物に格上げだ。
「あと少しで降りるぞ。次はバスだ」
「お。おう!」
「便あるかなぁ……」
 すっかり疲れた様相の磐佐と対照的に、相嶋が目を爛々とさせて、荷物棚からトランクを引きずり下ろした。


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