帰郷シリーズ 5 遠方 〜故郷に二色編〜

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 相嶋に、「寝るまで飲みなおすんだから先に風呂へ入っておけ」と急きたてられて、磐佐はひとまず風呂へ向かった。
 真っ白な浴槽は、一人で入るには少し大きい。狭さに慣れた身には落ち着かず、何度か軽く抜き手をきってみたが、湯船ではすぐに逆上せてしまった。含んだ程度の酒もすっかり抜けた気分だ。
 そして身体中ほかほかの磐佐が風呂から上がったころには、大理石の卓上にささやかな酒宴の準備が、すでに整っていた。
「おー、長風呂だったな」
「実は、あまりの広さにちょっと泳いでた」
 歩み寄って見てみれば、先程の洋酒三昧とは打って変わって、つまみが欲しくなるような香りが鼻をついた。かたわらの相嶋は肩に手拭いをかけ、すでに風呂上がりの様相を呈している。
「あれ……お前、もう風呂に入ってきたのか?」
 手を伸ばして頭を触ると、ひやりと濡れて冷たい髪が指をくすぐった。
「あぁ、自分の部屋でザッとな」
「湯冷めするぞ」
 そう言いながら手拭いを取って、勢いよく髪を拭いてやった。勢いに合わせて、相嶋の首ががくがくと揺れる。手拭いを肩に戻しながら「あぁもぅ、シャツまで濡れてんじゃねぇか」とぼやいたが、当の相嶋は平気な顔をして「大丈夫大丈夫、これっくらいで風邪ひいたことなんかないからな」と答え、一瞬ぴくりと顔をゆがめた。
「お前こそ髪濡れっ放しか、水垂れてきたぞ。だいたいなんで寝間着じゃねーんだ、ローブがおいてあっただろ」
「あの着物みたいなやつ? スカスカしてなんか合わねぇんだよ」
 ソファの隣をぱんぱんと叩かれて、誘いに従い隣に座る。
「ったく、しょーがないやつ」
「髪濡らしっぱなしのお前にだけは言われたくない」
「それもお前だろーが」
「人のことは言えないだろって言ってんだよ」
 何気なくふざけた応酬を交わしながら、互いにグラスを手に取った。乾杯などとむずがゆいことはせず、相嶋が軽く掲げるのに合わせて目礼し、競うように一気にあおった。

 しばらく飲み進めたころ、不意に相嶋が手を止めた。
「なぁ、明日はいつここを出んの? どーせなら早く行こうぜ」
「……へ? あ、あぁ」
 気持ち良く杯を重ねていた磐佐が、虚を付かれたように顔をあげた。口調に滲みでた興奮の理由が、磐佐には分からない。ここよりいい待遇などできるはずもないし、それは相手も知っているはずだが。
「言っとくけど、迎えなんかねぇからな」
「駆け足登山よりはマシだろ。半日でも歩いてやるよ」
「安酒でもいいのか? 本当にもてなしできないからな」
「もてなし期待して訪問するバカじゃねーよ俺は」
 満面の笑みを浮かべて「電車か? バスか?」と楽しそうに尋ねてくるのを見、磐佐が肩をすくめてグラスを揺らす。
「……バスは二時間に一本な。電車にも乗るから、接続が悪かったら二時間まるまる待つことになるぞ」
「一体どういう場所なんだ」
「どうって……ド田舎だよ、山ん中だ。昔は神社に基地作ったり、兎捕りの罠作ったりしてたな……」
「おー……それでこそ『故郷』って感じだよなー」
 いったいどこで得た知識なのか、相嶋が嬉しそうにソファーの上で足を組む。遠足にでも行くような調子は、見ているぶんには楽しそうだ。
「……まぁ、豪華なお屋敷のお坊ちゃんには、そうかもな」
 頷いて笑い、半分ほど残っていた酒を一口に流し込んで、顔を戻した。
「お前、虫は平気だったよな」
 光に集まってくる蛾やら何やらに、耐性はあったはず……と思って問いかけてみた。
 が、返事がない。
「…………ん? もう寝たのか?」
 見れば先程の姿勢のまま、身体をソファの背に預け、俯いた綺麗な稜線の横顔に瞼が降りている。顔が火照っているわけでもなく、酔っ払いのだらしなさもない。
 しかし安らかな呼吸の音と、身体を揺らした途端に漏れた「ん……」という呻き声が、どうやら彼がすでに夢の国の住人であることを教えてくれた。
「……やっぱり実家は安心すんのかね」
 苦笑を浮かべ、彼を部屋に送り届ける助力を願おうと鈴を取り上げた。
 が、ふとそれを下ろして、磐佐はつと立ち上がり周囲を簡単に整えた。わざわざ人を呼ぶまでもない。
「よっ……と」
 寝こけた相嶋を肩に軽々と担ぎあげ、隣室のベッドに放り出す。相嶋の身体が掛け布団の上に沈み込むと、磐佐も大きく欠伸をした。
「ベッドが広くて助かったよ、転がり落ちるんじゃねぇぞ」
 寝る準備してくるから、と言い置いて部屋を出る。ドアを閉める前に重いものが床に落ちるような音と、それから小さな呻き声が聞こえたが、もう気にはしなかった。
 明日は早い。


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