帰郷シリーズ 2 豪邸 〜故郷に二色編〜

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 磐佐は、目の前に止まっている黒塗りの車を凝視したまま、その場に凍り付いた。
「おい、荷物寄こせ」
 相嶋の言葉と同時に、白手袋をはめた運転手が歩み寄って手を伸ばし、荷物を受け取ろうという姿勢を見せる。
「お荷物をお預かりいたします」
「……あのさ」
 しばらく言葉を探し、なんとか磐佐は第一声を絞りだした。
「どうした」
「どうなさいましたか」
「……自分の足で行ってもいいか」



 本来なら同期と狭い居宅を借りずとも、大きな屋敷で家政婦を雇って暮らせる家柄……――それが相嶋の出自であった。
 公爵の爵位を授けられた、「宮之下家」という先祖伝来の名まである。
「それを親父がなー……」
 周りの反対を押し切る形で無理やり家名を変えさせて、今の名前になったんだ……と、相嶋が電車の窓から外を眺めながら、ぼんやり語った。
「とは言え社会的には、旧姓を併記して使うことが多いんだとさ。ま、屋号みたいなもんだな」
「はぁ……」
 家柄の違いを気にしたことは、磐佐にはない。だが耳にする知人の来歴は耳新しいもので、思わず感心した声をあげて、まじまじと目の前の嫡男を見つめた。
「……そんな名家の総領が、これ……ねぇ」
「なんだよ」
 顔を戻した相嶋と目があって、磐佐がすっと視線をそらす。
(そういや、昔はそれらしかったっけ……)
 初めて会ったころはどこか斜に構えていて、冷たい雰囲気を持っていたような気がする。
 それが今じゃ、すっかり独自の変人色を作り上げている。誰が彼を見て、一目で血筋を見抜けようか。
 再び視線を戻せば、相嶋は拾った雑誌を眺めていた。そしてふと顔をあげると、「お前は貧乳派だっけ」などと尋ねてきた。
「こだわりはない。……年と環境は、人を変えるんだな」
「艦橋? そういうのをー……確か『ワーカーホリック』って言うんだぞ?」
「……いや、それより」
 軽く頭を振って思考を切り替え、磐佐は窓から外を見回した。
「……ホントにこの電車で合ってるのか? いや、そもそも公爵家のオヤシキに電車で行くなんて、聞いたことないぞ」
「俺を信じろ。実家への道を間違えるヤツなんて、聞いたことあるのかよ」
 そう言いながら、相嶋が再び雑誌に目をやる。「俺は爆乳派だな……」などと呟く手から雑誌を取り上げ、もとあったように座席の下へと放り込んでやると、さすがに彼も諦めたらしい。
「……うん、次の次で降りるぞ」
 そう言って立ち上がった相嶋に、磐佐もぐっと身体を伸ばした。
「おっし」
「迎えがもう来てるはずだ」



「……で、こんな長い車が来てると、誰が思うか」
 尻の座りの悪さを感じながら、磐佐が辺りを見回した。そもそも自家用車に専属運転手など、外国の貴族を送迎する光景の一部に、何度か見ただけのしろものだ。
 振動がない。音もしない。どころか、何やら芳しい香りがするのは、閉められた両脇のカーテンから薫っているのだろうか。
 波に揺られて轟音の中で、潮臭い海上生活に慣れた身には、なんとも落ち着かない。
「まーまーいいだろ。気にするなよ、小さいことは」
「デカいから気にしてんだろ」
「なんか飲む?」
 その言葉に目をやれば、どこから取り出したのか、相嶋が瓶を持っている。ラベルにミネラルウォーターの文字を見て、磐佐は黙って目をそらした。
(こいつ、普段は井戸からでも水飲んでるくせに……)
「倫太郎様、そろそろ到着致します」
 突然運転席から声が聞こえ、磐佐がぎょっと運転席を振り向いた。
「様ぁ?! いや……は、早いな、そんなに走ったか?」
「その気になれば歩ける距離だからな」
 相嶋がそう言いながら、窓を覆っていたカーテンを開ける。
「……なら、やっぱり歩けばよかった」
「お客様をお迎えするよう、旦那様に申しつけられております」
 運転手が静かに唱えた。今度は磐佐も黙って、窓の外へ目をやった。
 すでに車は門を潜り、庭を走り抜けている。
(えっ……これもう敷地内なのか)
 思わず何度か見直すうちに、車はぐるりと庭を回り、大きな玄関の前に横付けた。
 窓からその豪奢な屋敷を見上げて、磐佐は大きく息を吐きだした。
 運転手が扉を開けると相嶋が身軽に車を出、慣れた口調で「荷物をゲストルームへ」と指図した。


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