講和

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 近々、今上陛下に摂政がつくと聞いて、相嶋は思わず父親を振りかえった。
「……まさか――」
「そのまさかだ」
 安楽椅子に背中を預けた父親が、瞳を閉じたままで頷く。
 ――国策の最終責任を負う人物に、政治補佐が付く。
 それは暗黙のうちに、今上に失策があったことを、宮廷が認めるものである。無論今上当人の失策ではなく、奏上した内閣の責任なのであろうが……――
「ということは……」
「終戦工作が進んでいる。……近いうちに、講和条約が結ばれるだろう」
 これは寝言だと前置きして、彼が呟いた。

 戦争が、終わる。
 なぜ父親がそれを自分へ伝えたのか分らなかった。
 公私混同はしない父親であったが、長男が死線に近かったことを、少しは意識していたのだろうか。息子も暗躍していた終戦工作に、気付いていなかったはずはない。
 同じ軍機構を選んだ次男には、伝えているのだろうか。
(――否、伝えていないはずだ)
 全寮制で陸軍士官を養成する軍学校は、帰郷を許すはずがなかった。戦中の特例で、繰り上げ卒業が予定された今は、わずかな余暇も惜しまれている。
 その特例も、行使されないまま終わるだろう。
 ……終わるのだ。あと少しで、何もかも。
 色を失ったような町を歩きながら、相嶋は唇を引き結んだ。無性に何かに当たり散らしたい。
 勝つか負けるかで言えば、少なくとも勝ちではない。防衛戦争で自国を守り通しても、新たに得るものはありゃしない。
「結局、無駄ってことか」
 最初から知っていたことだ。
 それでも悔しかった。
 何のために人が死んだのか、何のために膨大な国力が疲弊したのか。
 坂を登りきると、海が見渡せた。あの海が繋がる場所に、何人が命を散らせたのだろう。
 ぼんやりと考えていると、かすかに砲の音が聞こえてきた。目を凝らしたが、煙痕が見当たらないのは、試し打ちだからだろうか。
 その音に、相嶋はふと、現実を思いだした。
 彼にとっての現実は、事実起きている遠いものではなく、彼が見て聞いて触れた事象に限定される。その現実を、ふと思い出したのである。
「……まあ、いいか」
 確かに無駄な戦だった。
 しかし、終われば助かる命もあるだろう。
「また忙しくなるなー……」
 大きく伸びをして、首をぐるりと回す。
(嗚呼、あいつに会いたいな)
 そして相嶋はゆっくりと、坂を下りはじめた。


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