悪夢

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 ただ、殺戮と戦闘の中に立って、周りを見回していた。
 そんな、ひどい夢を見た。

「縁起でもねぇ」
 寝起き一番のかすれる声で否定した景色が、しかしまだ磐佐の瞼の裏に、はっきり焼き付いている。
 布団の上に上半身を突っ伏すと、夢の記憶はより鮮明に身を苛んだ。
 阿鼻叫喚地獄とは、あのことを言うのだろう。
 血の臭い、立ち上る硝煙、煙の合間を縫うようにして偵察機が何機も飛び交っていた。耳をつんざくような爆音と、身体を震わせる振動と、助けてと叫ぶ声。忘れることなどできやしない。
 しかも夢の中ではよくある話、そういうときだけ自分は無傷で、誰かの血が身体中を染め上げていた。着慣れない純白の衣服が、仕立てたように、黒と赤で染まっていた。
「……くそ」
 思いだすと、喉の奥がきゅうと傷んだ。忘れていた筈の緊張と、死すら超える絶望は、忘れるわけにはいかないものでもあった。
 軍隊の指揮官とは、そういうものだ。
 所詮夢だと放ることなど、許されるものではなかった。ただの夢ではない。現実の片鱗なのである。
 悲鳴と血と人の死で、危うい均衡を保っていた世界であった。いつまた戦になるかは分からないと、そんなことは分かっていた。そのうえで、軍人の職を選んだのだ。
 人の死を背負う覚悟はできていた。息絶えるその瞬間に、この戦争で、もう何度も立ち会った。遺族に詰られたり、逆に深い感謝の意を表されたり、それらをすべてひっくるめて受け入れたつもりでいた。
 しかし、虚栄心の仮面の下には、恐怖に歪んだ醜い貌があるだけだった。
「……怖いもんは、怖い……か」
 白の衣裳を敬遠したのも、その下にあるのは染まりやすさへの恐怖だ。
 自分は、臆病なのだろうか。それでは駄目だとも思う。恐怖を拭い、非情にならねばならない時もあるのだろう。
 ……しかし多分、同時に、拭ってはならないものでもあるのだ。
 自分の死のその瞬間まで、捨てることのできない大きな荷は、他の誰でもない自分に課されたものなのだろう。

 柄にもなく思考に身を委ねたせいか、仕方のないことを考えた。
 口元に笑みを浮かべると、何を悩んでいたのか分からなくなった。
 まったくバカバカしい。悩むことなどないではないか。
 要するに自分は非情になり切れないし、部下を死なせる勇気も切り捨てる勇気もない。どころか捕虜の自決にすら怯えて、結局自分が怪我をしている。
 それでも、「……まだマシだよなぁ」そう呟いて、服の上から傷をなぞった。
 自分の血を見るのは、怖くない。捕虜百人の命に変えられるなら、自分の血くらい、いくらでもくれてやる。
 もう一度だけ感覚のない左腕を見下ろし、ゆっくりと寝台を降りた。傷口から全身を侵食していた熱は、すでに下がっている。
 牽引中の艦の中では、捕虜達と艦員達と、敵も味方もない酒盛りが開かれているはずだ。
 仲間に入れて貰おうと、部屋を出たその顔に、陰りはすでにかけらもない。


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