貴様と俺とは 10

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 見たことのある天井が、すぐ目の前にあった。
 ……いや、見たことはない。しかし艦の天井なぞ、どこも似たようなものだ。低くて、男臭い。
(こんなむさ苦しい場所が、天国なわけがない)
 ……生きている。
 何度か瞬きを繰り返し、ぼんやりとする頭で記憶を手繰った。
 確かそう、艦に戻ろうとして……
「……気が付かれましたか」
 ほっとした声音が、突然思考を遮った。磐佐が咄嗟に首を回して、声の主へと視線を移す。
 衛生兵、それも見たことのある顔だ。たしか旗艦の麾下にいた。
 そこまで考えを巡らした瞬間、何が起きたかをはっきりと思い出して、磐佐はガバッと身体をはね起こした。
「頭は痛みませんか? ここがどこだか分かりますか」
「あいつはどこだ!」
 二人の声が重なって頭蓋に声が反響した。きりりと頭が痛む。
 それもこれも、あいつのせいだ。
 記憶があいまいだと思ったら大間違いだ。磐佐ははっきりと、手刀を叩きこまれるまでの経緯を覚えている。
「あの野郎、再起不能にしてやる!」
「安静にして下さい!」
 寝台を飛び出そうとした磐佐を、衛生兵が咄嗟に抑えにかかった。
 しかし手負いといえど腕力は雲泥の差、細腕の衛生兵を引きずるようにして、磐佐が寝台を降りる。
 それでも全力で押しとどめながら、衛生兵は必死な声音で、事情を告げた。
「か、艦長は、今は駄目ですっ……!」
 ――ミイラ取りがミイラになった。出血多量で、まだ眠っている。
「…………はあ?」



 相嶋は自室の寝台で、真っ白な顔をしていた。
 最初に見たとき、死んでいるのかと思った。それほど、その顔に生気はなかった。
 咄嗟に近寄って生きていることが分かったとき、思わず磐佐は安堵した。
(そういや、貧血だったっけ……怪我してたみたいだったし)
 しかしその後にいたって、磐佐は完全に動きを止めた。

 ……――相嶋のこんな様子を見たのは、生まれてこの方初めてだ。

 自分が無茶をするのは昔からで、さして珍しいことではない。
 しかし磐佐は、相嶋の弱った姿を目にしたことがなかった。刺されてなお笑顔を見せるのが、磐佐の知る相嶋という男なのである。
「……おい、生きてるか?」
 声を潜めて話しかけた。相嶋から答えは、無論返ってこない。
 本当に死んでいるのではないかと思い、相手の口元へ手を遣った。
 ……やはり生きている。
 それを確認して、ほーっと息を吐く。その場で深く俯いて頭を掻き、磐佐は寸の間言葉を探した。
「ああ……っと、吃驚させるなよ」
 静けさが嫌で、咄嗟に次の言葉を紡いだ。
「……そもそも、なんでお前まで、こっち移ってくる必要があったんだよ」
 俺が行きたかったからだ……そう、返事が聞こえた気がした。たぶんそう言ったのだろう。
「そのせいで怪我なんかすんなよな。俺が悪いみたいだろ」
 ――「みたい」じゃなくて、お前が悪いんだよ。
「だいたいな、お前、どうせなら怪我せずにやれよ」
 ――不器用で悪かったな。
「お前を放っといたら、何を仕出かすか……おちおち眼が離せねえよ。ガキかお前は」
「ガキはお前だ、このポークビッツが」
 突然掛けられた声に、磐佐が顔を上げた。
 綿紗と敷布から覗く白い顔は、じっと目を閉じたままだ。しかし眉間には僅かに皺が寄り、血の気のない乾いた唇は、先程と違ってうっすら開いている。
 磐佐の目の前で、唇がさらに開き、今度ははっきり「この、ポークビッツが」と繰り返した。
 それを見た磐佐は、肺の中に淀んでいた空気をすべて押し出すように、大きく息を吐いた。
「…………本当に殺してやろうか。それともお前の持ち物潰して欲しいのか」
「御免だな。それより……」
 言いながら、相嶋が細く目を開けた。
 手の甲で目蓋を押さえながら、僅かな隙間から磐佐をじっと見つめている。
 どうしたと問うのも間違っているような気がして、磐佐が唇を微かに引き結んだ。
 それを待っていたのか、相嶋はほとんど口も動かさないまま、低く呟いた。
「……内地に帰ったら、実家から手を回す。軍令部全体を引っ繰り返して、俺を怒らせた恐ろしさ、思い知らせてやる」

 磐佐が思わず身体を起こし、相嶋の顔を見直した。
 僅かの隙間から覗く瞳と、乾いた血糊の後を残した眸、二人の視線が空でぶつかる。
「実家って、お前……」
「お前は嫌いな方法かもしれないけどな、一度くらい手伝ってみろよ。御華族様身分も道具だ。持ち主の俺が使うんだから、文句ないだろ?」
 相嶋が何を言っているのかは、磐佐にもすぐに理解できた。
 彼の家柄の持つ権威は、伊達ではないのだ。過去の因習すら圧倒する力を、血筋が持っている。
「……でも、なんかフェアじゃないな」
 磐佐が気のりしない様子を見せると、相嶋は今度こそ腕で目に蓋をして、大きく溜め息を吐いた。
「戦争にフェアもくそもあるか」
「お前にとっちゃ、くそな戦争はありそうだけどな」
 返事を返すと、相嶋がくすりと笑い「それを言うなら戦争は全部クソだ」と訂正する。
 そして再び真面目な口調に戻り、囁くような低い声音で呟いた。
「……それからこれだけは言っとく。お前は軍令部への忠誠を取り消せ」
「?」
「今回の作戦は、意図的にお前っていう囮を作ったんだ。ンなところに、お前を譲る義理はない」
 ひと声で言いきって、再び相嶋が腕をどけた。隠れていた表情が、今は悪戯な笑みを浮かべている。
「……お前のことは、意外と買ってるんだ。どうせなら、俺側につけよ」
 相嶋の言葉に笑って、磐佐はポケットへ手を遣った。
 煙草を取り出し、火を付ける。
 煙をくゆらせると、ようやく人心地ついて、磐佐の咽を笑いが震わせた。
「それもいいかもな」

「……でもそれとこれとは話が別だ。調子が戻ったら、一発頸動脈殴らせろ」
「断る」


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