貴様と俺とは 8

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 相嶋は、しばらく窓際に呆然と佇んでいた。

「……艦長、艦長!」
 副長の声で我に帰った。
 見回すと、周囲はすでに戦闘状況を脱している。
「……あ?」
「艦長は部屋に戻って下さい!!」
「ん……ああ」
 気のない返事を返しながら、相嶋がゆっくりと視線を巡らせる。
 水兵たちが、敵兵の救助をしている。
 その輪から外れたところで、凄まじいばかりの損害を受けた味方が一隻、辛うじて海上にその姿をとどめていた。
 救援に近付いた艦艇も、どうすることもできないでいる。
(悪夢でも……見てるみてーだな)
 渇いた笑いが、喉から漏れた。身体が強張って、思うように身じろぎできない。
 なんとか視認できる大破した甲板には、血の海が広がっていた。
 艦体はわずかに傾き、主砲は押しつぶされている。
 いまだ煙の途絶えない甲板の端々では、赤い炎がちらちらと揺れる。
 艦体を覆う鉄板の一部がめくれ上がり、海上に艦底の赤色をわずかに覗かせている。
 そして責任者がいる艦橋は、根元から折れ、ひしゃげた砲塔の上に、その無残な姿をさらしていた。
(……ホント、悪い夢だろ、コレ)
 度見ても、信じられなかった。
 あれに知人が乗っていたなど、信じられないし、信じたくもない。
 しかし、現実だ。
「あれでは、全員……」
 かすれた台詞に、相嶋は弾かれるように振り返った。
 声の主である副長と、視線が交錯する。
「まだ安否は……」
 分からねーだろうが。
 咄嗟に威勢良く怒鳴りつけようとしたが、相嶋の台詞も、すぐに途切れた。
 冷静に考えれば、誰でもすぐに分かることだ。
「そう、だよな……」
 呟きながら、再び視線を艦へと戻す。
 相嶋が同期の磐佐を預けたように、副長もまた、身近な人物をその艦に見送っていた。信じたくないのは、誰しも同じことだ。
 しかしここから生還など、できるはずもない。
 それは、軍学事例を徹底的に身に付けた相嶋が、誰より一番解っていた。

 ……――ともに参加した海戦で友人を亡くすのは、これが初めてだった。
 眼前で仲間を根こそぎ持って逝かれたことは、怒りよりも味わったことのない挫折感と絶望感を、胸に焼き付けた。

 その場に静寂が満ちる。
 判断をしなければ。
 指示を出さなければ。
 思考が空回りする。耳に響くのは、気のせいなのか、それとも喉元を締め付ける吐息なのだろうか。
「牽引、かかれ……」
 軽い眩暈を覚えながら、相嶋がとぎれとぎれに言葉を発す。
(……キチンと、埋葬してやらねーと……)
 アレはいまや、大きな棺桶となり果てている。
 それだからこそ、きちんと連れて帰ってやらないと。
 だが港に艦を連れ帰っても、収容された遺体を直視する勇気はないだろう。
 死んでいることではなく、それが知人であることが、その覚悟を揺るがすのだと、相嶋は初めて思い知った。





 その時だった。
「おい、そっち大丈夫か?」
「大丈夫だ! ほらあれだ、海月になった気分で……」
「ちょっと痩せよ……」
 普段と変わらぬ、間抜けな会話がさやさやと流れてきた。
 爆撃でできた艦体の裂け目から、大きな爆弾の破裂跡から、もぎ取られた主砲の隙間から、ちらほらと兵員が姿を現し始めたのは、その直後だった。

「……え?」
「なっ……」
 刹那、全員が幽霊でも見るような眼つきで、傷つきながらも這い出てきた仲間たちを眺めた。
 それもそうだろう、そこにいるのはみな死んだはずの兵員だ。
 しかしそれも一瞬のことだった。
「い……生きてる……」
「おい……生存者がいるぞ!」
 口々に叫び、一人またひとりと、兵員達が救助活動へ移りはじめた。
 人数から察するに、兵員の半数近くが生きている。思えばこれだけ大破しながら、艦そのものも、まだ浮いているのだ。
 やがて倒れた艦橋の隙間から、士官姿がぬっと現れた。顔中血だらけにしながら、両腕に一人ずつ人間を抱えて立っている。
 そのシルエットに、相嶋は見覚えがあった。それを見た瞬間、相嶋の職業意識が剥がれ落ちた。
(生きてた……のか……)
 刹那、背後の一人が呟いた言葉が、ギリギリだった相嶋の堪忍袋を突き破った。
「なんだ、磐佐艦長まで生きていたのか。……運が良かったな反戦派」

「……――っあんたら、向こうの艦の防衛に、頭は回らなかったのか!」

 気付けば相嶋は、幕僚の胸に飛びかかり、その鼻面に拳を一発お見舞いしていた。
「お前ら……あいつらを殺すつもりだったのか?! もう一度『なんだ』っつってみろ、海に沈めてやる!!」
 続けざまに二度三度と拳を振るうのを、周囲に無理やり止められた。
 引き離されつつ、荒い息を整える。
 幕僚たちは相嶋の剣幕に萎縮していた。どうせ殴られた者と同じことを考えていたのだろう。今ばかりは失言だ。
 相嶋を押さえながらも、鋭い視線を投げかける艦員たちにかこまれて、彼らは居心地悪げに視線を泳がせた。
 反駁したいのだろうが、相手の気迫が、艦の空気が、それを許さない。
 その緊張を破って、すぐ隣に浮かぶ艦から、聞きなれた声が相嶋の耳に届いた。

「おぉい、こっち、重症二人抱えてんだ。手伝ってくれ」
 ――そしてようやく、相嶋の中の何かを縛っていた呪縛が、解けた。

「……おう、待ってろ!」
 一言叫んで、相嶋は袖を捲り上げ、駈け出した。


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