相嶋は、しばらく窓際に呆然と佇んでいた。 「……艦長、艦長!」 副長の声で我に帰った。 見回すと、周囲はすでに戦闘状況を脱している。 「……あ?」 「艦長は部屋に戻って下さい!!」 「ん……ああ」 気のない返事を返しながら、相嶋がゆっくりと視線を巡らせる。 水兵たちが、敵兵の救助をしている。 その輪から外れたところで、凄まじいばかりの損害を受けた味方が一隻、辛うじて海上にその姿をとどめていた。 救援に近付いた艦艇も、どうすることもできないでいる。 (悪夢でも……見てるみてーだな) 渇いた笑いが、喉から漏れた。身体が強張って、思うように身じろぎできない。 なんとか視認できる大破した甲板には、血の海が広がっていた。 艦体はわずかに傾き、主砲は押しつぶされている。 いまだ煙の途絶えない甲板の端々では、赤い炎がちらちらと揺れる。 艦体を覆う鉄板の一部がめくれ上がり、海上に艦底の赤色をわずかに覗かせている。 そして責任者がいる艦橋は、根元から折れ、ひしゃげた砲塔の上に、その無残な姿をさらしていた。 (……ホント、悪い夢だろ、コレ) 度見ても、信じられなかった。 あれに知人が乗っていたなど、信じられないし、信じたくもない。 しかし、現実だ。 「あれでは、全員……」 かすれた台詞に、相嶋は弾かれるように振り返った。 声の主である副長と、視線が交錯する。 「まだ安否は……」 分からねーだろうが。 咄嗟に威勢良く怒鳴りつけようとしたが、相嶋の台詞も、すぐに途切れた。 冷静に考えれば、誰でもすぐに分かることだ。 「そう、だよな……」 呟きながら、再び視線を艦へと戻す。 相嶋が同期の磐佐を預けたように、副長もまた、身近な人物をその艦に見送っていた。信じたくないのは、誰しも同じことだ。 しかしここから生還など、できるはずもない。 それは、軍学事例を徹底的に身に付けた相嶋が、誰より一番解っていた。 ……――ともに参加した海戦で友人を亡くすのは、これが初めてだった。 眼前で仲間を根こそぎ持って逝かれたことは、怒りよりも味わったことのない挫折感と絶望感を、胸に焼き付けた。 その場に静寂が満ちる。 判断をしなければ。 指示を出さなければ。 思考が空回りする。耳に響くのは、気のせいなのか、それとも喉元を締め付ける吐息なのだろうか。 「牽引、かかれ……」 軽い眩暈を覚えながら、相嶋がとぎれとぎれに言葉を発す。 (……キチンと、埋葬してやらねーと……) アレはいまや、大きな棺桶となり果てている。 それだからこそ、きちんと連れて帰ってやらないと。 だが港に艦を連れ帰っても、収容された遺体を直視する勇気はないだろう。 死んでいることではなく、それが知人であることが、その覚悟を揺るがすのだと、相嶋は初めて思い知った。 その時だった。 「おい、そっち大丈夫か?」 「大丈夫だ! ほらあれだ、海月になった気分で……」 「ちょっと痩せよ……」 普段と変わらぬ、間抜けな会話がさやさやと流れてきた。 爆撃でできた艦体の裂け目から、大きな爆弾の破裂跡から、もぎ取られた主砲の隙間から、ちらほらと兵員が姿を現し始めたのは、その直後だった。 「……え?」 「なっ……」 刹那、全員が幽霊でも見るような眼つきで、傷つきながらも這い出てきた仲間たちを眺めた。 それもそうだろう、そこにいるのはみな死んだはずの兵員だ。 しかしそれも一瞬のことだった。 「い……生きてる……」 「おい……生存者がいるぞ!」 口々に叫び、一人またひとりと、兵員達が救助活動へ移りはじめた。 人数から察するに、兵員の半数近くが生きている。思えばこれだけ大破しながら、艦そのものも、まだ浮いているのだ。 やがて倒れた艦橋の隙間から、士官姿がぬっと現れた。顔中血だらけにしながら、両腕に一人ずつ人間を抱えて立っている。 そのシルエットに、相嶋は見覚えがあった。それを見た瞬間、相嶋の職業意識が剥がれ落ちた。 (生きてた……のか……) 刹那、背後の一人が呟いた言葉が、ギリギリだった相嶋の堪忍袋を突き破った。 「なんだ、磐佐艦長まで生きていたのか。……運が良かったな反戦派」 「……――っあんたら、向こうの艦の防衛に、頭は回らなかったのか!」 気付けば相嶋は、幕僚の胸に飛びかかり、その鼻面に拳を一発お見舞いしていた。 「お前ら……あいつらを殺すつもりだったのか?! もう一度『なんだ』っつってみろ、海に沈めてやる!!」 続けざまに二度三度と拳を振るうのを、周囲に無理やり止められた。 引き離されつつ、荒い息を整える。 幕僚たちは相嶋の剣幕に萎縮していた。どうせ殴られた者と同じことを考えていたのだろう。今ばかりは失言だ。 相嶋を押さえながらも、鋭い視線を投げかける艦員たちにかこまれて、彼らは居心地悪げに視線を泳がせた。 反駁したいのだろうが、相手の気迫が、艦の空気が、それを許さない。 その緊張を破って、すぐ隣に浮かぶ艦から、聞きなれた声が相嶋の耳に届いた。 「おぉい、こっち、重症二人抱えてんだ。手伝ってくれ」 ――そしてようやく、相嶋の中の何かを縛っていた呪縛が、解けた。 「……おう、待ってろ!」 一言叫んで、相嶋は袖を捲り上げ、駈け出した。 |