返信が書き留められるのを待ちかねて、紙片をひったくった。 「……まさか、これだけなのか」 「はいっ」 『○』の文字に、思わずため息が漏れた。 受けるだろう集中砲火など、すでに知っているということか。 自分の艦のことでもある。相嶋より先に予想は出来ていたのかもしれない。それにしても、もっとまともな返事もあるだろうに……こちらの心配や気遣いをまったく無視して、腹の立つ文面だ。 「……あいつめ」 くしゃりと左手に紙片を握りつぶし、相嶋は窓から外を見た。 隣の者にすら声が聞こえないほどに、大砲の音が響いている。 相嶋が外を見ると同時に、艦が一斉に主砲を鳴らせた。腹の底に響くような轟音が、窓を震わせ空気をさらい、その場にいた全員が振動で数歩よろけた。 「だ、大丈夫ですか」 「あぁ、俺は平気だ。それより、お前こそ気をつけろよ、ホラ」 その場に転げた副長に尋ねられて、口の端に苦笑をもらす。助けの手を差し伸べてやりながら、相嶋は再び外を見た。 今度は向こうから、爆音が響く。 続いて、木霊するようにもう一度。 数発同時に鳴ったのだろう、窓ガラスがビリビリと揺れ、腹の底で何かが震えた。よろけ、咄嗟に傍のパイプを支えに身体を保つ。 そのまま視線を滑らせると、既に敵の艦の一隻は大きく傾いていた。それにもう二隻も、深い角度で傾き掛けている。敵戦力となる艦は、あと三隻しかいない。 味方はと見ると、まだ沈みかけているものはなかった。 これなら勝てる。 しかし、甲板を抉られ煙を上げる艦は、一隻存在した。 自由の利かない舵を操り、危うい所で器用に砲弾を避けている。しかしすべてを避け切れるものでもない。 袋だたきの割に被害は少ないが、他艦に比すれば圧倒的に多い。 (被弾量が半端じゃない……危ないな) そう思い浅く唇を噛んだ相嶋の目の前で、彼の艦が砲塔を吹き飛ばされ、甲板の上が炎でなぎ払われた。 ……火薬と砲弾は、国によって違う。 敵国の砲弾は甲板を貫き、砲塔を破壊する。味方のそれは炎を巻き上げ、全てを燃やしてしまう傾向がある。 なぜ甲板の上に炎が広がった? 「なっ……」 混戦状態が災いした。 いまあの艦が受けたのは、味方の砲弾だ。 「なん……」 副長が隣で息を呑んでいるが、答えは、簡単だった。 混乱を生じている。 彼らは、敵艦の密集している海域を適当に選び、砲を向けている。 これは、相嶋が一見しての判断だ。もしかしたら彼等にも、きちんとした論理があるのかもしれない。そうした命令が下っているのかもしれない。 ともかく仲間が味方の砲弾を受け、甲板を火の海にしているのは事実だった。 「ホントに馬鹿ばっかだ……」 誰にともなく、相嶋は呟いた。 誰もかれも馬鹿だった。そして自分は、その筆頭に馬鹿だ。 不測の事態は、何一つ起こっていないのだ。 「同志討ちでやられてんじゃねーよ……責任者は一応俺なんだぞ」 言いながら、相嶋が激しく頭を掻きむしった。 主戦力となる砲塔のうち、前方の一基は抉られていた。鉄鋼の舷は曲がり、甲板には大きな穴が空いている。 それでも生き残った砲塔はいまだに火を噴き、艦は動きの制限された回避運動を続けている。 友人がいる指揮所……すなわち艦橋からの指示は、まだ途絶えていないのだ。 こんなときでも、ヤツは落ち着いて指示を飛ばしているのだろう。 ポーカーフェイスが得意なのか、何も考えていないだけなのか……とりあえず、他人に不安を与えないという点において、美徳には違いない。 (……もーいいや。互いに好きにやってやろうじゃねーか) 拳を握り、息を整え、相嶋はゆっくりと振り返った。 見ていた副長が、僅かにあとずさる。 殺気にも近いものを放ちながら、相嶋は数歩、背を向ける幕僚たちへ並み寄った。 そして、 「撃ちまくれ! 全部沈められるなら、多少味方に損害が出ても構わん」 脂汗を拭った参謀長が、そう指示を出した瞬間、 「黙れ!」 突如、砲弾の炸裂音すらかき消すような怒声が、艦橋内に響いた。 年若の艦長に気圧され、辺りが水を打ったように静かになった。 砲の音すら、一瞬止んだようだ。一瞬で空気が凍りつき、絶対零度の沈黙が広がった。 「いまの指示は撤回、以下の指示は自分が下す」 叫ぶわけではない、しかし十二分に威厳を持った声音が、海綿に水が沁みるように艦橋の空気に浸透する。 そして我に返った幕僚たちが反論するよりも早く、相嶋は彼らへと向きなおり、うっすらとあざけるような笑みを浮かべた。 ――決して仲間には見せない、血筋の片鱗は、幼い頃から身体に叩き込まれている。 いまの相嶋に、怖いものなどない。 「私に逆らうということは、現公爵家嫡男に……逆らうということだ。父は今上と懇意、母は皇室の血をひいている。……その上で……」 ……そうだ。 「その上で、言いたいことがあるなら、それを肝に銘じ『上告』しろ」 初めから、こうすればよかったのだ。 「敵艦に降伏勧告をしろ。それから当艦、攻撃を止めて沈没艦員の救助にかかれ。……以上、すぐに伝達!」 「は、はい!」 深く頷いて、慌てて復唱し、従兵が駆けだした。 黙りこくった参謀部とは裏腹に、艦橋は一挙に活気に満ちた。 |