予兆

Back - Index - Next



 相手は、柔らかなソファーに座っていた。
「島国だからな」
 つっかえ棒を当ててやりたくなるほどに上半身をそらせ、黒々とした髭をひねり上げながら、難しい顔をしている。
 壁に飾られた精神注入棒に目をやって、相嶋はこっそりと、その様を思い描いてみた。襟足から飾り房が覗いて、なかなか愉快なことになるだろう。
 相手は相変わらず、ひねり上げた髭の手入れに余念がない。
「我らは、島国の海軍である。よってこれまでの陸戦には、ほとんど関わる必要がなかったのだ」
「はい」
 一つ頷いてみた。
 今回の戦に関して言えば、その通りだった。子供でも知っている。

 海軍の交戦が新聞紙上を騒がせたのは、たったの一度であった。数知れない小競り合いは、国内のニュースや陸軍の戦果に押しやられるのである。
 それでなくとも海軍は、艦を沈めればすべてが終わるのだ。敵兵救助の推奨で死傷者も少なく、新聞の見出しでは『ハト派海戦』と称されている。
 血の気の多い者たちは「海軍は軟弱だ」「及び腰だ」と叫んでいるのだという。

 対して陸戦は、すでに大陸や島嶼の各地で、戦闘激化と混戦を繰り返していた。
 防衛軍である陸サンに外交の才はない――というのが、海軍内の通説である。ドンパチの勃発した大陸では、地面を死体が埋め尽くしたともいう。
 血気盛んな若者たちは、逆に次々と陸軍へ志願している現状であった。陸軍士官学校へ在学している相嶋の弟も、その一例と言えるだろう。

「しかしだ」
 回想を途切れさせるように、相手が大きく身体をそらせた。
「我々は何らかの形で、このたびの戦に、寄与しなければならない」
 その言葉に、相嶋がつと目をそらせる。
 これまで寄与しなかったとでも言いたいのだろうか。数少ない海戦で、これも数少ない負傷者の一人が、相嶋自身だったのだが。
 ふと思った。(忘れられたかな……)。
「わかるな?」
 念を押された。はっと我に帰る。しかし気配は気取らせない。表情を変えるまでの価値はないと判断して、相嶋は無表情に頷いた。
「……はい」
「そこでだ」
 そう言って、一度相手は言葉を切った。
 そして、存分にその効果を一人楽しんでから、ゆっくりとデスクに肘杖をつく。組んだ手の上に顎を乗せた。口元に笑みを浮かべ、そのままじっと相嶋を見上げた。
「もう聞き及んでいるだろうが……我々の仲間から、輜重隊もどきを出すことになった」
 皮肉に笑い、顔をゆがめた。
「気に入らん。陸サンに好きに使われているようで、実に気に入らん。だが、やらねばならん」
「はい」
「これ以上陸サンをのさばらせておいては、国民の心証も悪い」
「はい」
「そこで、だ。今度の会議に、この件を掛けようと思う。……来週の会議で、賛成が多数欲しい」
「はい」
 先ほどから、はいとしか答えていない。
 上司との会話に、他に応える言葉などあるものか。処世術として学んだのだ。とりあえず、「はい」と答えておけば何とかなると。
「……もちろん君も、賛成してくれるね?」
「はい」
 そう答えた瞬間、ぱっと相手の表情が明るくなった。彼の賛成一つに、流されて賛同する輩は必ずいるだろう。それを見越して、自分を抱きこもうとしている。
「おぉそうか、ありがとう!」
 相手が笑み綻んで、立ち上がり、握手を求めてきた。硬い握手の合間にも、相嶋が返す言葉は一つもなかった。無表情と「はい」の言葉だけでも、意外と会話は成り立つものなのだ。
「……では、失礼します」
 頷いたが、その裏で相嶋は、次の会議に出席する義務はないと考えていた。
 一週間後の会議の日、自分は多分風邪をひいて寝込んでいる。裏で動くのは厭わないが、下らない勢力争いに巻き込まれるつもりはなかった。

 完治したはずの傷口が、痛んだ気がした。
 明日は雨だろうか。


Back - Index - Next




@陸に砲台 海に艦