攻撃は一艦に集中する。また、艦隊の主戦力を沈没せしむれば、必然的に指揮系統は麻痺する。 それゆえに旗艦が狙われやすいのは、無論言うまでもない。 そんなことは解っていたはずだった。その際どんな防衛戦を展開すればいいのかも、相嶋には自在に思い描くことができた。 ……しかし、机上の論理と実践とは、天と地ほどの差があった。 それだけのことだ。 その差異が己を焦らせているだろうことまで、相嶋は重々承知していた。 ただ焦りが伝播するのが、相嶋の危惧するところであった。心中を皆に気取られないように、左の拳を痛いほどに握り締めると、掌に爪が食い込んだ。 「雷跡回避!」 「左舷船尾被弾ッ!!」 飛び交う復唱と報告の声が、ひどく遠い。舵がなかなか効かないことに、強く奥歯を噛み締める。舵をやられたらしい。 無理にも周囲に余裕を見せるために「なんだ、ただの被弾か。味方がぶつかったんだと思ってたんだが」などと嘯いて口の端を持ち上げると、周囲に安堵が広がったのを感じた。 「おい、艦長が軽口叩いてるぞ」 「冗談なんか出てくるんだ、この艦はまだ大丈夫だな」 兵員達のひそやかな声が、様々な音に混じって微かに耳へと届く。 彼らが現状を知ったら、これほど落ち着いてはいられないだろう。 自分の自信で、周囲は安堵している。そうこうする間にも、艦はじわじわと傾斜を深めていっているのに、だ。 このままでは、いい攻撃の的である。しかし打開策はない。砂時計のように近付いてくる轟沈の影が、目の端にちらつく。 この現実との乖離は、いったい何だろうか。 思わずくすりと笑うと、投げかけられた視線を感じた。……隣に立つ副長は、相嶋の口調に陰りを感じていたようだった。 小さな声で「艦長」と囁かれ、何も答えることができず、下唇を噛み締めた。 状況を解っているのは、おそらく自分と副長、そして背後に控えている司令や士官クラスの者くらいだろう。 戦艦とも言えない小型の艦とはいえ、この艦は旗艦である。先に待つのが自艦沈没であることは、何となく視えていた。それまでに為すべきことは、多い。 「……司令」 怪我人を、続いて司令達を下ろさねばならない。仕事の数々を言い付けて、自分は慣例に従い、艦長室に戻れば良いのだろうか。駆逐艦の艦長室は、棺というに丁度いい程度の大きさしかない。 不思議と、死ぬことへの恐怖は湧いてこなかった。多分、ああいった感情は、直前まで姿を現さないのだ。 小さな絶望感を抑え込んで、相嶋はゆっくりと周囲を振り返った。 腹の底を揺さ振るような音がしたのは、まさにその刹那だった。 同時に大きく揺れた艦に、その場の数人が投げ出された。何とかその場に踏み止まり、相嶋は咄嗟に外を見下ろして、眼下の光景に目を見開いた。 無傷だった右舷の船尾に、黒煙が上がっている。その向こうに、敵艦の姿はない。ただ、味方艦の影が見えるのみだ。 (――水雷か?) 味方に撃ち込まれたのか。自沈の二文字が脳裏を過ぎったが、軽く掠っただけだと、すぐに分かった。 「先程のは……磐佐艦長、ですか?」 身体を起こした副長が窓を覗いて、堪え切れぬように漏らした。副長にとっても飲み仲間だという、相嶋の旧知である。 相嶋にも、旧友の意図はすぐに汲むことが出来た。左に傾き掛けていた艦が、開けられた穴から水を呑み込んで、ゆっくりと水平を取り戻し始めている。注水機までやられていたのだと、この期に及んでようやく気がついた。 「……あの野郎――」 相嶋の口の端が、今度こそ感情のままに持ち上がった。 少しでも位置がずれれば、この艦は吹っ飛んでいた。それを押して味方に砲を向けるなど、正気の沙汰ではない。しかし、有効な手段ではある。 見る間に彼が向きを変えた。どうやら彼等は、今度は敵艦を狙っている。横っ腹を見せ、自分をも危険にさらす水雷攻撃を、磐佐は得意としている。 先程まで此方を狙っていた鉄塊が、状況に気付いたかのように回頭を始めた。が、もう遅い。 相嶋は、軍帽を被り直して深く笑んだ。 これまでにも磐佐は、片手では足りないほどに小競り合いを経験している。実戦慣れした彼に掛かれば、恐らくそう時間はかからず、敵も後退を余儀なくされる。 「艦長」 再び、副長が声を漏らした。 その声に見え隠れする、あからさまな安堵の色を叱ることなど、誰にもできないだろう。 「……当艦、水雷撃ち方用意ッ!」 怒鳴るように言い付けて、相嶋は軽く、後方の旧友へ敬礼を向けた。 |