追憶

Back - Index - Next



 防空指揮所に上がって周囲を見渡すと、切羽詰まった状況であることが、たやすく見て取れた。
 集中砲火を受けている旗艦の様子が、磐佐の位置からは手に取るように分かる。舵の一部が効かなくなっているのだろうか。
「旗艦が……まずいな」
「は、はい」
 双眼鏡を握り締め、隣で青年兵がガクガクと頷いた。
 振りかえると、目が合った。
 年若い兵隊だった。否応なく徴兵され、生まれて初めての戦闘に放り込まれたのだろう。ほとんど独り言のような磐佐の言葉に、こくりと首を縦に振って、なんとか自分を保っているようにも見える。
「怖いか」
 磐佐がからかい半分に尋ねると、彼はぶんぶんと首を左右に振った。そして歯の根も合わないままに、震える唇で微かに笑って見せた。
「だい、大丈夫です!」
「そうか。無事帰れたら、美味いモン食いに行こうな。……それまで頑張れ」
「は、い」
 青年兵が、こくりと頷いた。
「うん」
 磐佐も笑って、くるりと身体を翻した。
 全部が早く終わればいい。
 指揮所に戻って、指示を出さなければ。旗艦を何とかしなければならない。

 その瞬間だった。
 艦橋全体を揺らすかのような衝撃が、全身を襲った。
「っ」
 衝撃でその場から投げ出され、勢いよく肩を打った。何が起きたのか分からない。全身が異常に熱い。
 手を伸ばして、辺りを触ってみる。投げ出されただけのようだった。大した怪我もしていないのを確認して、傍の手すりを持ち、身体を起こした。そして、
「おい、お前は無事か」
 声を掛けながら、先ほどの青年を振り返った。

 そこには、誰もいなかった。

 大きく捲れ上がった鉄板と、吹き飛ばされ損ねた床板が、辛うじてその場に残っていた。
 ただ人間一人分だけが、綺麗に跡形もなく吹き飛ばされていた。
「……な、」
 聞こえていたはずの音が、すっと遠ざかった。
 息が止まる。
 思わず目を凝らした。
 誰もいない。
 鉄板が赤い。
 何が起きたのか、一瞬分からなくなり……そして、瞬きする間に、理解した。
「あ……ああ――」



「ご無事ですかっ!」
 植村の言葉に、ハッと我に返った。
「よかった、艦長はご無事ですね! 早く指揮所に戻って下さい!」
 まくしたてるような声に、ゆっくりと足を踏み出す。
 音が戻ってきていた。
 視界の端に、傾きかけた旗艦が見えた。
 そうだ、モタモタしている時間はない。アレを、なんとかしてやらなければ……――
 背を向ける植村の後に続いて、磐佐がゆっくりと足を踏み出す。
 そのときふと視界の端に、双眼鏡が写り込んだ。正確には、双眼鏡だった「モノ」の欠片である。

 磐佐は黙って、それを拾い上げた。
 手のひらに載るような、小さな小さな破片であった。
「……すまないな」
 何に対して謝っているのか、自分でも分からない。
 ただ静かにハンカチを取り出して『それ』を包み、ポケットに大事にしまいこんだ。
「しばらくここで、我慢してくれ」

 そして磐佐も、植村の後を追ってタラップを駆け降りた。


Back - Index - Next




@陸に砲台 海に艦