きたるべきもの 9

Back - Index - Next



 昇降口で落ち合い、門を出てしばらく並んで歩いていたところで、ふと磐佐が振り返った。
「あ、言い忘れてた。酒代は俺が持つからな」
「へ?」
 唐突な、らしくもない申し出に、相嶋がぎょっとして目を見開いた。
 一方の磐佐は煙草をくわえ、両手でポケットを探っている。そしてふと顔をあげ、視線が合うと少しおどけて肩をあげ、「なぁ、ライター持ってねぇ?」と尋ねた。
「……マッチでいいか?」
「あぁ」
 うなずいて差し出された手に、紙マッチをぽんと載せる。そのまま磐佐の煙草を摘まみ取り、相嶋がトットッと数歩先へ、つんのめるように歩み出た。
 火をつけようとしていた煙草を奪われて、磐佐が眉間に皺をよせる。
「おい、何すんだよ」
「こっちのセリフだ。……さっきのアレといい、気持ち悪いぞお前」
「失礼な奴だな、この野郎」
 振り返った相嶋の手から煙草を奪い返し、磐佐が軽く言葉を返した。
 マッチを擦って煙草に火をともし、薄く吐き出された煙を避けるように、相嶋がさらに離れて相手の頭からつま先までをしげしげと眺めた。
「どういう心境の変化か知らねーが……どうせなら、俺の手持ちがないときに奢れよ」
 からかいの笑いを込めて、軽く肩をすくめてみせる。すると磐佐が紙マッチを自らのポケットにおさめ、きっぱりと言い切った。
「いや。俺は今日、お前に奢っときたいんだ」
 それを聞いて、今度は相嶋の眉間に、深い皺が刻まれた。
「……お前、なんか変なもんでも食ったのか?」
「例えそうだとしても、腹を壊すくらいだろ」
 歩き続けていた磐佐が、隣の気配が消えたのを感じ、足を止めて振り返った。見ればいつのまにか立ち止っていた相嶋と、いやに距離が開いている。
 怪訝そうな視線から逃れるように視線を飛ばし、磐佐がすこし笑って見せた。
「……上司に言われたんだよ」
「上司?」
 相嶋の声に、さらなる不審の色がにじむ。
「……いや、何でもない」
 磐佐が首を横へ向けて、再びふぅと深く煙を吐いた。



「それよりお前、早く結婚しろよ」
「はあぁ?」
 再び彼が言い出した、その言葉に、相嶋が可能な限りに眉をしかめた。
 磐佐には、まだ見合いのことは、一切話していなかったはずだった。何も知らない相手から、そんなものを催促されるなど、予想の範疇外である。顔色を読むように、相嶋が相手の面を覗き込んだ。
「なんでだよ」
「でないと、お前が生き残るようなことがあったとき、誰が喜んでくれんだよ」
 視線を逃れるように、磐佐が半身をひねる。
 何を言っているのか少し考え、先程の『ありがとな』との繋がりを見出した途端、相嶋の口の端に薄い笑みがのぼった。
「誰がって、最低一人くらいは心当たりがあるんだけどなー……お前は喜んでくれねーの?」
 わざと回り込み、下からその顔を見上げる相嶋の顔には、にやりと笑みが浮かんでいる。煙草をとるふりをして表情を隠し、磐佐が黙って歩きだした。
「おい、どうなんだよ」
 笑いながら、その後ろを追いかける。追いつきかけた瞬間、ちらりと見えた耳の赤さに、思わず笑い出しそうになった。
「……そりゃ俺だって、喜ばないわけがないだろ」
 小さく吐き捨てられて、相嶋はついに声を殺し損ねて小さく吹き出した。
「そんなら、お前でいいじゃねーか」
「俺を頭数に入れんなよ」
 わざとその肩に両手で飛びつき、突き飛ばすように両手をかける。立ち止ったのを良いことに思い切りぶら下がると、大きくのけぞった背が「重いっての!」と声をあげた。
「な、やっぱり酒は今度にしよーぜ」
「はん?」
 鼻にかかったような磐佐の返事に、笑いを殺しきれないまま手を伸ばし、相嶋がパシパシと組んだ肩を数度叩いた。
「明日の朝に、ちょっとした用事ができてさ。だから酒はナシな。代わりに夕飯に付き合えよ」
「用事があんなら、とっとと帰って布団かぶって寝ろっての。……この駄目人間め」
 小さな悪態に、相嶋が大袈裟に「やっと気付いたのか?」と驚いてみせた。
「そんなの、前からだろーが」
「……まぁな」
 磐佐が答え、どちらともなくくつくつと笑いだす。そして二人の足が、再び動き出した。


Back - Index - Next




@陸に砲台 海に艦