きたるべきもの 3

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 翌日渡された辞令書には、さっそく潜水訓練に赴くようにとの文字が、無機質に並んでいた。
「今のところ、甲板にいた八名のみ、生存が確認されている。……殉職者たちは、さっそく今日から引き揚げ作業にはいる」
 黙って部屋を出ようとした磐佐の背中に、ふと上官が声を掛けた。
 磐佐がかつてはその艦の乗員で、つい数日前までは殉職者たちとともにいたことを、慮っての言葉であるらしい。
「残念ながら、君はおそらく、葬儀には参列できない」
 暗く沈んだ声音に、磐佐は無表情で振り返る。
 そんなことは分かっている。
 世話になった艦長や、当直士官の仲間たちの死に顔も、その葬礼に並ぶことすら許されない。それが軍隊なのだと割り切るくらいなら、いまの磐佐にも十分に可能だった。
 ……というより、割り切ろうとし、思い出さないようにしていたのだ。
「……承知しています」
 頷いて、相手の言葉も待たずに部屋を出る。
 扉を閉めて深く息を吐き出し、磐佐は黙って書類を握りつぶした。
 掌中の紙片が、ぐしゃりと低い音を立てた。

 何度か深呼吸を繰り返していると、少し離れた扉の開く音がした。
(誰か、廊下に出てきたな)
 突っ立っていては不自然に思われるかと、無意識に顔を上げる。
 そしてそこに思いもかけず友人の姿を見つけ、唇が微かに動いた。
「……リンリン?」
「あ……?」
 無意識に口から出た言葉に、相嶋が振り返った。
 相嶋の動きが、一瞬静止した。そして見る間に相嶋の顔が綻ぶのが、妙にゆっくりと磐佐の目に映った。
「お前……生きてたのか!」
 相嶋が、場所も構わず声を上げた。
 その言葉を聞いて、磐佐の心臓が、どくりと跳ねた。
 無論それに気付くはずもなく、相嶋が喜色を浮かべて駆け寄って、磐佐の両肩を引き寄せる。感触を確かめるように何度も身体を揺さぶり、腕を掴んだり擦ったりする顔は、嬉しそうであり、楽しそうだった。
 突然顔を覗きこまれて、磐佐は無意識に、ふいと視線をそらした。
「さっき事故が起きたって聞いてさ、お前も死んだんじゃねーかって思ってたんだ!」
 揺さぶられるがままになりながら、磐佐が黙って顔を伏せる。
 不貞を責められているような、厭な鼓動が、強く肋骨を叩く。
「なんかホッとしたよ! お前運がいいんだなー」
 相嶋が嬉しそうに口にする言葉の、一つひとつが、妙に痛い。
(何がそんなに嬉しいんだ?)
(なんでそんなに笑ってんだ? ほとんど全員死んでんじゃねぇか)
(そりゃ運はいいだろうさ)
(でもな、俺ひとりだけ助かっても、嬉しくも何ともねぇんだよ)



「でも、そっかそっかー、お前生きてたんだな、よかったなー! あ、そういやさっき……」
「……よくねぇよ」
 相嶋の声に、低い磐佐の声が重なった。
「え?」
 驚いた相嶋が、思わず口を噤んだ。
 磐佐のこの声を、相嶋は知っている。
 滅多に激昂しない彼が、本気で怒っている。
「……磐佐?」
 思わず相嶋が、相手の名前を呼び掛けた。
 すると磐佐は弾かれたように顔をあげ、形容しがたい表情で、きっと相嶋を睨みつけた。
「よくねぇだろ、どう考えても」
 本気の声だ。
 怒気に満ちた瞳をまっすぐに見る。そして相嶋はすぐに、その根幹を理解した。
(あっ……――)
 思い至らなかったわけではないが、失念していたのだ。彼が生きていると分かった瞬間、それ以外が、すべて脳裏から吹きとんだ。
 しかし、それだけが全てではない。
 磐佐は助かった。何がどうなっていたのかは知らないが、運が良かったのは事実だろう。それは逆に言えば、他の全員が死んだ現実と、背中合わせでもあったのだ。
(……しまっ……)
 言葉を探すこともできず、ただ黙りこくる相嶋に、磐佐がもう一度低く呟いた。
「何が『よかった』のか、俺にはさっぱり分かんねぇよ」
 そして磐佐が黙って踵を返した。
 早足に去る磐佐に、かける言葉も探せないまま、相嶋は呆然とその背中を見送った。


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