きたるべきもの 1

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「相嶋君、見合いをしてみる気はないかい?」
「え?」
 突然持ち掛けられた提案に、相嶋は目を見開いた。
 相嶋はことし水雷学校を卒業したばかり、まだ二十を幾つか越えたほどである。これからが遊び時だと思っていた、その盛りの言葉だったのだ。
「見合い、ですか」
 何気なく、相手の言葉を反復してみる。声に出すと、その言葉が現実味をもって、相嶋の身を大きく揺さぶった。
 言葉をそのまま受け取ってはならない。見合いの席からそのまま結納など、よくある話なのだ。すなわちこれは、見合い話の名を借りて、縁談を持ちかけられているのだろう。
 とは言え考えてみれば、別段反対する理由もない。
「あぁ、いい娘さんを知っているんだ。君の御実家とも釣り合いが取れている」
 そう言って、相手が椅子にゆったりと身体を預ける。胸の飾緒や階級章が揺れてぶつかり、かすかだが不愉快な音を、相嶋の耳へと確かに届けた。
「相手の方は、子爵の御家柄だ。公爵には幾段か劣るが……まぁ妻に迎えるのなら、君より多少身分が低くても、たいして構うまい?」
 それを聞いて、相嶋は曖昧に笑う。彼自身としては、爵位を持っていようが娼婦の娘だろうが、その家柄を問うつもりなど微塵もないのだが。
「……どうしたのですか、急に」
 話を変えようと、相嶋が咄嗟に問いかけた。
 上司の紹介ともなれば、縁談は受けたも同然だ。相手の家柄をくだくだしく語られるよりも、相嶋が気になったのはその部分だった。
 たしかに自分は、結婚に適齢ではあるだろう。しかしあまりに突然すぎはしないかと思ったのだ。
 すると相手は、髭の下の口を引き結び、ゆっくりと立ち上がった。
「ん……まぁね、相嶋君は嫡男だろう。長男たるもの、早く結婚して子供をもうけ、家を継がなければならないからね。高貴な血筋を我が海軍に奉職させることで、みすみす途絶えさせてはならん」
「……何か、あったのですか」
 意味ありげな口調に気付き、相嶋が声をひそめた。
 ある日思い立った見合いの動機にしては、あまりに具体的だ。長男だからだの、血筋がどうのだの、現実の色が濃すぎるのだ。
 疑惑の目を向けると、相手は僅かに逡巡したのち、大股に相嶋の傍らへ歩み寄り耳打ちした。

「実は、ここだけの話だが……『艦長伯爵』は知っているね」
「あー……はい、存じております」
 相手の言葉に、相嶋があいまいに頷く。
 爵位を持った若き艦長として、それなりに名を知られている人物だ。相嶋は興味などないし直接知っているわけでもないが、つい先日まで同じ学校に通っていた同期の磐佐が、その艦長の配下についたらしい。
 配置から半年が過ぎ、そろそろ打ち解けてきていることだろう。
(そう言えば磐佐、最近会ってねーな……)
 相嶋がふと、朋友の顔を思い出した。また近いうちに杯でも交わしたいと、心の内に笑みを浮かべる。
 その間にも上官の話は進んでいたのか、彼が歩む拍子に揺れた飾緒の反射した光で、相嶋ははっと意識を引き戻した。
「……で、彼の家が、断絶の危機に晒されているんだ。君もうかうかしてはおれまい」
「え?」
 相手の言葉のさわりを聞き逃したことに気付き、相嶋が微かに身じろぎした。
「申し訳ありません、いま、なんと」
 聞いていなかったとは言えない。聞こえなかったふりをして、相嶋が上官へ意識を集中させた。それを何と受け取ったのか、相手は再び視線を泳がせ、逡巡の様子を見せた。
 そして……内緒話でもするような、小さな声で囁いた。
「つまりだな、まだ公開されてはいないことなんだが……その伯爵艦長の艦が、昨日、爆沈したんだ。甲板にいて何とか逃げられた兵員数名以外、全滅したという報告を受けている」

「……伯爵の家は、他に親戚もおらず……後継争いは時間の問題で、当然我らも……」
 相手の言葉は、もう相嶋に届いてはいなかった。
(……艦内全滅ってことか? いや、でもアイツは水雷だし、甲板に出てたってことも……それは都合良すぎるか、やっぱり)
 無表情のまま、相嶋の頭が様々な憶測を生む。
 他家の後継騒動など、相嶋にしてみれば蚊帳の外のまた外だ。
 水雷長を任命されたはずの磐佐が、若造の身で早々に艦と運命を共にしたのかと、そればかりが気になった。
(やっぱり、アイツも死んだのか?)
 それはそれで、一つの人生だ。
 となると自分は、一つの事故によって親友を失い、妻を得ることになるのだろうか。
(人生って、ちゃんと採算合うようにできてるんだなー……)
 そんなことを考えながら、脳裏へと無意識に浮かんできたのは、友人の死に顔だった。
 無論妄想の産物だが、それはいつか訪れる己の死に顔と、妙に重なって見えたのだった。


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