生徒達 8

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 扉を開ける音がした。闇を丸く切りとって、懐中電灯の光が揺れた。
「……やはり違うようですな」
「いえ、でもネズミはいたはずです」
「どこに隠れたんでしょうか」
 声が聞こえる。視界の隅を何度か光が照らしていく。相手の姿が見えず、相手との距離が掴めない。
 向かい合った互いの吐息が、妙に大きく聞こえた。首筋の産毛を揺らされているようで気持ちが悪い。しかし動くこともできはしない。
 二人は息を殺して、気配が去るのを待った。
「ネズミ取りを増やしますか」
「そうですねぇ、前に私のアンパン齧られてしまいましたから」
「出しっぱなしにしておくのが拙いんでは」
 会話とともに、足音が去っていく。
(意外にあっさりしてたな)
(まだ動くな)
(分かってんだよ、ンなことは)
 口にせずとも、互いの言いたいことは読み取れた。気配が消えても、二人は姿勢を崩さず、じっと時の過ぎるのを待った。
 ロッカーの中に二人では、もう他に何が入る余地もなかった。向かい合わせに嵌り込んでしまったように、他人からは見えるのだろう。
 少しでも動けば、バランスが崩れてしまう。そうなれば、二人で外へ倒れこむことは必至だった。ゆっくりと落ち着いて、できれば余裕をもって出なければ。
 気配が消えてから、さらに数十数えて、相嶋が静かに身じろぎした。片手を伸ばして、扉を押しあける。
 冷たい夜気が流れ込んできて、するりと頬を撫でた。
「窒息するかと思った……」
 呟きながら左足を外へ出す。両手を出す。上半身を乗り出して、最後に右足を引き抜く。あとに残った磐佐が、こちらは悠々とした動きで、広くなったロッカーから抜け出した。
「……どうやって鍵開けたんだ」
「ちょちょっとな」
 相嶋が人差し指を伸ばし、軽く曲げて見せる。「昔から得意でさ」と続けながら、ロッカーを閉め、大股に廊下へ続く扉へ歩み寄る。
「よし、もういいみたいだぞ。でも早めに引き揚げたほうが……」
「……でも、お前だったら」
 歩きだそうとした相嶋の袖を、磐佐が唐突にひいた。
「リンリンだったら、金とコネがあるだろ。多少の悪戯とか成績はさ、多めに見てもらえるんじゃないのか?」
 真面目な表情に、相嶋は眉をしかめた。
 どさくさに紛れて意味の分からない渾名を付けられ、そのうえ相手の言うことが、これだ。
「……そうだなぁ」
 両手を腰に当て、深く俯いて……――笑みがこぼれた。
(コイツ、大真面目にそう思ってんだなー)
 それが分かると、無性に可笑しくなった。
 自分に反感があるからではない。ただ単純に、家柄が良いからそれを利用するだろうと、そういう頭があるのだ。世間一般はたしかに『そう』なのだろうし、たぶん、最悪な第一印象もあってのこと。
 自分にそっくりだ。
 何やら全てが愛おしくなり、にこりと笑みを相手に向けた。

 そして次の瞬間、相嶋は渾身の指力を込めて、磐佐の額を指で弾き飛ばした。

「俺はそういうの、大っ嫌いなんだよなー」
 相嶋の声が届いているのかいないのか、その場にしゃがみ込んだ磐佐が、ゆっくりと顔を上げる。片手はまだ、額を覆っている。
「あぁー……そか。ごめん」
 呟くように謝る磐佐の眼に、怒りの色はなかった。反省の色もない。ただ、事実をそうと知っただけの顔だ。
 見ようによっては、考えようによっては、随分気持ちのいい態度ではないか。
「でも」
 見上げた磐佐の目に表情が宿る前に、相嶋は再びにこりと笑んで見せた。
 確かに自分は、周りから少しだけ「特別扱い」を受けていた。それを享受していたことは、れっきとした事実だ。
 彼が自分を誤解していたのと同じように、相嶋も目の前の同期を誤解していた。――これもまた事実。
「俺も確かに、ソコにあぐらかいてたんだ」
 不思議そうに片目を眇めた磐佐の前に、相嶋がぐいと首を突き出した。
「……来いよ。でないと、フェアじゃねぇ」
 ゆらりと立ち上がった磐佐が、ゆっくりと指を鳴らした。
「んじゃ、遠慮なく」


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