扉を開ける音がした。闇を丸く切りとって、懐中電灯の光が揺れた。 「……やはり違うようですな」 「いえ、でもネズミはいたはずです」 「どこに隠れたんでしょうか」 声が聞こえる。視界の隅を何度か光が照らしていく。相手の姿が見えず、相手との距離が掴めない。 向かい合った互いの吐息が、妙に大きく聞こえた。首筋の産毛を揺らされているようで気持ちが悪い。しかし動くこともできはしない。 二人は息を殺して、気配が去るのを待った。 「ネズミ取りを増やしますか」 「そうですねぇ、前に私のアンパン齧られてしまいましたから」 「出しっぱなしにしておくのが拙いんでは」 会話とともに、足音が去っていく。 (意外にあっさりしてたな) (まだ動くな) (分かってんだよ、ンなことは) 口にせずとも、互いの言いたいことは読み取れた。気配が消えても、二人は姿勢を崩さず、じっと時の過ぎるのを待った。 ロッカーの中に二人では、もう他に何が入る余地もなかった。向かい合わせに嵌り込んでしまったように、他人からは見えるのだろう。 少しでも動けば、バランスが崩れてしまう。そうなれば、二人で外へ倒れこむことは必至だった。ゆっくりと落ち着いて、できれば余裕をもって出なければ。 気配が消えてから、さらに数十数えて、相嶋が静かに身じろぎした。片手を伸ばして、扉を押しあける。 冷たい夜気が流れ込んできて、するりと頬を撫でた。 「窒息するかと思った……」 呟きながら左足を外へ出す。両手を出す。上半身を乗り出して、最後に右足を引き抜く。あとに残った磐佐が、こちらは悠々とした動きで、広くなったロッカーから抜け出した。 「……どうやって鍵開けたんだ」 「ちょちょっとな」 相嶋が人差し指を伸ばし、軽く曲げて見せる。「昔から得意でさ」と続けながら、ロッカーを閉め、大股に廊下へ続く扉へ歩み寄る。 「よし、もういいみたいだぞ。でも早めに引き揚げたほうが……」 「……でも、お前だったら」 歩きだそうとした相嶋の袖を、磐佐が唐突にひいた。 「リンリンだったら、金とコネがあるだろ。多少の悪戯とか成績はさ、多めに見てもらえるんじゃないのか?」 真面目な表情に、相嶋は眉をしかめた。 どさくさに紛れて意味の分からない渾名を付けられ、そのうえ相手の言うことが、これだ。 「……そうだなぁ」 両手を腰に当て、深く俯いて……――笑みがこぼれた。 (コイツ、大真面目にそう思ってんだなー) それが分かると、無性に可笑しくなった。 自分に反感があるからではない。ただ単純に、家柄が良いからそれを利用するだろうと、そういう頭があるのだ。世間一般はたしかに『そう』なのだろうし、たぶん、最悪な第一印象もあってのこと。 自分にそっくりだ。 何やら全てが愛おしくなり、にこりと笑みを相手に向けた。 そして次の瞬間、相嶋は渾身の指力を込めて、磐佐の額を指で弾き飛ばした。 「俺はそういうの、大っ嫌いなんだよなー」 相嶋の声が届いているのかいないのか、その場にしゃがみ込んだ磐佐が、ゆっくりと顔を上げる。片手はまだ、額を覆っている。 「あぁー……そか。ごめん」 呟くように謝る磐佐の眼に、怒りの色はなかった。反省の色もない。ただ、事実をそうと知っただけの顔だ。 見ようによっては、考えようによっては、随分気持ちのいい態度ではないか。 「でも」 見上げた磐佐の目に表情が宿る前に、相嶋は再びにこりと笑んで見せた。 確かに自分は、周りから少しだけ「特別扱い」を受けていた。それを享受していたことは、れっきとした事実だ。 彼が自分を誤解していたのと同じように、相嶋も目の前の同期を誤解していた。――これもまた事実。 「俺も確かに、ソコにあぐらかいてたんだ」 不思議そうに片目を眇めた磐佐の前に、相嶋がぐいと首を突き出した。 「……来いよ。でないと、フェアじゃねぇ」 ゆらりと立ち上がった磐佐が、ゆっくりと指を鳴らした。 「んじゃ、遠慮なく」 |