慣れた手つきでさんざんその辺りを荒らしまわり、ふと思いついて手近な引き出しを開けたときだった。廊下の向こうで、再び不穏な音が聞こえた。 コツリ。 硬質な音だった。足音だろうか。勘違いかもしれない。 「……いまの、聞こえたか」 磐佐が振り返った。彼の耳にも届いたのだ。黙ったまま、相嶋がこくりと頷いた。二人の視線が絡む。 互いに、同時に聞いたのだ。勘違いではないようだった。 廊下の向こうから、再び誰かが近付いてきている。 二人が動きを止める。閉めた扉を通して、微かに教官たちの話し声が聞こえた。先ほど相嶋が遭遇しかけた二人、それからもう一人。おそらく、最初にやりすごした相手だろう。校内を巡っていた三人が、そこに集っているらしい。 「……それで、先ほども不穏な音がしたんですよ」 「そりゃぁいけませんなァ」 「巨大なねずみでも入りこんだんでしょうか?」 再び、二人の視線が絡んだ。 見つかったか? 目で問うてくる磐佐に、相嶋が今度は首を横に振る。まだ、自分達が見つかったと決まったわけではない。盛大な音を立てて逃げるには、少し早い。何とか平穏にここから姿を消すのが最上策だろう。 扉へちらりと視線を送る。「向こうにバレないように、だが早く逃げた方がいい」。 相嶋の言いたいことが分かったのか、磐佐が小さく舌打ちをした。 「チッ、さすが現職だよな」 「だな、察しがいいわ」 「脱いで逃げるか?」 冗談なのか本気なのか、いまいち掴めない言葉を聞いて、相嶋が眉根に深いしわを寄せた。 「抜かせ」 「……そもそもお前が言い出したんだろ」 磐佐のぼやきは、すでに聞いていない。音を立てないように引き出しをしまい、動かしたものを戻して、辺りに手を付けた痕跡を隠滅した。 「窓は?」 「……駄目だ、こっちは壊れてる」 鋭く問うと、微かに木材が軋む音で返事を返した。続いて磐佐が苦々しげに、一番近い窓から手を離す。 他の窓はと目をやるが、置き物が邪魔になって、静かに通り抜けられそうにはない。すべてを退けてまた戻すには、時間が足りない。 「……退学か?」 磐佐が小さく呟いた。もう捕まる気でいるのかと、相嶋が苦笑気味に息を吐き出した。 「……しゃーねぇな。さっき助けられたし、これで貸し借りなしだぞ」 「貸し借り?」 怪訝そうな磐佐に構わず、相嶋は自らのポケットを探った。 ……あった。 取り出した針金を床に押し付け、先を僅かに曲げる。 辺りを見回し、傍らの手ごろなロッカーに目を付けた。人ひとり悠に入れるだけの大きさがある。軽くノックして微かな音の響きを確かめた。物もあまり入っていないようだ。使える。 「これでいいか」 口の中で小さく呟いて、相嶋が針金を鍵穴へ差し込んだ。右に、左に、細かく動かしてみる。手ごたえがあった。いけそうだ。 廊下の向こうからは、確実に足音が近付いてきている。 「いませんねぇ」 「ネズミなら、目につきそうなものですが」 「教官室ですかね?」 「一応見てみますかぁ」 声がだんだんと近付いてくる。 磐佐がちらりと相嶋の手元へ目をやった。相嶋が何をしているのか、今一つ掴めていないようである。 「……おいボンボン、あとは俺がごまかしてやるから、お前だけでも逃げろよ」 「ボンボン言うな、カッコつけやがって。……くそ、上手くいかねぇな」 「じゃぁリンリンでいいな。……お前なら、多めに見てもらえるだろ」 学年主席、家柄もいい。そんな特権をいまこそ使えばいいと、磐佐が提案した。厭味ではない。心の底からそう思っているのだ。 「馬鹿かお前、なんつー呼び方だ」 相嶋が低く呟いた。 同時に、扉にはめ込まれた擦りガラスの向こうに、人影が動いた。 |