それを見た瞬間、相嶋の心中に、ぞわりと黒いものがわき上がった。 お気に入りの玩具を、理不尽に取り上げられたらこのような気分になるのだろうか。顔をしかめたくなるようなこの感覚は、久しく感じたことがなかった。 「……」 相嶋の、不穏な沈黙が続く。 「なんか悪いか」 手を上げていた相手が、軽く眉を持ち上げた。 馬鹿にされているのだろうか。苛つきが心中に湧き上がるのを感じて、相嶋は軽く唇を引き結んだ。 相手も自分のことを快く思っていない。眼つきを見れば分かるものだ。相嶋が握っていた主導権を、この場で彼が奪おうとしているように思われるのは、さすがに相嶋の考え過ぎだろうが。 「おい、こっちが質問してんだ。何とか言え」 「……ホントに大丈夫かよ」 不快感を隠そうともせず、眉間に深いしわを寄せる。 彼の意図を汲んだのだろう、相手は不敵に笑って『見せ』た。 「無理だと思ったら、立候補しねぇよ」 偶然に口元を緩めたのではない。笑みを『見せられ』たのだ。 いまでは周囲も、いつの間にか漂っている険悪な空気に、息を呑んでいる。 特に相嶋の味方に回ることもなければ、彼の敵に回ることもない。確かに、賢明な判断だ。 ――そもそも互いに、同期の中で孤立しているわけではない。 二人とも、固定の相手と徒党を組むことを好まないのだ。その点、二人はよく似ているのだろう。……不本意ではあるが。 対峙する二人とそれを見守る数十人の図式の中、相嶋がゆっくりとした口調で相手への牽制を示した。 「……なら、俺も別経路で行くわ」 あからさまな対抗だった。 相手にも、様子を見ている者にも、判るように。むろん故意である。 ……――人気取りの体力馬鹿なぞに、晴れ舞台を譲る気は毛頭ない。 「構わねぇけどな、邪魔すんなよ」 「そっちこそ、俺の後をついて来ようとは思うなよ」 敵意を含んだ、低い応酬が交わされる。 そしてふと見せ物になっているのを感じ、相嶋はつと顔をそむけ、相手から視線を逸らした。 それぞれが三々五々に散りはじめるまで、そこには凍てつくような空気が染み、ぴしぴしと生徒達の肌を突き刺していた。 こうなった以上、相手より早く問題を手に入れたい。 そう思うのは、男子として当然のことである。 それに問題を入手しても、答えを丸暗記する時間がなければ、意味はない。 試験問題は、すでに作ってあるはずだ。試験を作るのも、楽なことではない。先んじて問題を作成しておくことは、十分にあり得る。 ……ならば、それらを手に入れることはできるのか。 (まぁ、大丈夫だろうな)と、相嶋が一人頷く。 教員たちも、試験問題を簡単に持ち帰ったりはしないであろう。校内に置いている可能性が高い。それなら、忍び込めれば問題はない。 全寮制の校内には、いつも数人の教員が宿直している。何があるか分からない自宅へ問題を持ちかえるより、学校に置いた方が安全だ。 (他に、なにかあるか?) 鍵に関しては、問題はないようだった。針金が一本手元にあれば、何とかなるという自信があった。なければ細いピンでもかまわない。昔から指先は器用だった。鍵を開けるのに、何ら困ったことはない。 (……そうか) そこまで考えて、相嶋はふと気付いた。 迷う必要などないではないか。条件はすべて揃っている。 それなら。 「今日、行くか」 散歩がてら校外を歩きながら、誰にも聴こえぬよう、相嶋は小さく呟いた。 |