生徒達 1

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「成績劣悪者を停学に処するための、選抜試験を実施する……らしいぞ」

 それを聞いて、相嶋は思わず腰を浮かせた。
「何だよそれ。どこから聞いた?」
「さぁな」
 隣席の男が、無愛想に答えながら、ガタリと音をさせて席へと腰を下ろす。
 むっとした相嶋が、思わず立ち上がりかけた刹那、まるで彼を牽制するかのようにベルが鳴った。
「真面目に授業受けろよ、ボンボン」
 隣の男が、低く毒づいた。
 見ればすでに教官が構えている。時をうまく見計らったのだろう。
 口をふさがれた形になって、相嶋は鋭い視線を隣の男に投げつけた。
(こいつ、いつかブン殴ってやる)
 確かに、彼の実家は裕福だった。社会的地位も高く、彼の父親は政界に大きな影響力を持ち、いわゆる『大物』と呼ばれている。
 しかし、それとこれとは話が別だ。彼は父親の威光を笠に着たことなど一度もない。自由人の父親を利用することなど出来ようはずもないからだけでなく、彼自身の自尊心もそれを許さない。
 しかし勝手に勘違いして「ボンボン」扱いする輩は、彼の在籍する兵学校にも、いないわけではなかった。
 媚びるか、必要以上に疑惑の目を持つか。彼らの行動は、その二つにしぼられた。
(テメェみたいな奴が一番腹立つな)
 そもそも相嶋は、粗野で他人を思いやれない体力馬鹿が大嫌いなのだ。じろりと再び視線を送れば、偶然二人の視線がかちあった。
 火花が飛ぶかというほどの睨みを利かし、同時にふいっと視線を逸らした。



 授業が始まると、臨席の奴はすぐに眠りについた。
 あたりを見回せば、ほとんどの者は同じく睡魔に襲われている。いまさら授業を聞いても……と、あきらめのような表情が垣間見える。
「……で、これが……であるから……」
 教官の声が遠い。
 相嶋は眠りこそしないものの、死んだような眼で黒板の前の人影を見つめた。
(意味があって、やってんのか……?)
 ここは海軍将校を育成する場だ。将来艦隊勤務に就けば外語は必要になってくるし、弾道計算に数学は不可欠であろう。
 しかし。
「……ここに先程の考えを当て嵌めて……」
 教官の声を背景に、相嶋は考える。
 将来実戦には、不必要じゃないのか。
 そんな教科が多すぎた。せいぜい、我慢強さを育てるための開講だろうかと、鉛筆をゆらゆら揺らめかせる。
「……馬鹿馬鹿しい」
 口の中だけで小さく呟き、相嶋はノートに視線を落とした。機械的なノートが目の前に浮き出して、文字が奔放に踊っている。


 授業が終了すると、すぐに移動に移らなければならない。
 相嶋はさりげなく、彼にとって最も好ましい集団へと混ざりこんだ。
 報をもたらした相手とは、そもそも犬猿の仲だった。そんな相手から詳しい情報を聞き出すなど、言語道断だ。
 と言って、彼が滑り込んだその一団も、特別に居心地がいいというわけではない。
 そもそも相嶋にとって、そんな相手などいなかった。ただ一緒に騒げる者、話に花を咲かせられる相手など、彼の中でわずかに種別されている程度だ。
「試験があるんだってな」
 たった一言話を振れば、彼らは簡単に食いついた。
「聞いた聞いた、進級試験だろ」
「それなら俺も聞いたよ、先輩が言っていた」
「今朝から噂になりだしたみたいだ」
 この情報を、誰かと共有したくて仕方がなかったのだろう。誰もが我先に話題へ入ろうとしているのを、一歩引いて見つめる。
「なんでも、問題がものすごく長くて難しいとか」
「基準点とれなきゃ落第だって聞いたぞ」
「入学試験より難しいらしい」
 大股の歩調を乱さぬまま、しかし声には不安の色が見え隠れしている。
 彼は、この情報が欲しかったのだ。どんな試験なのか、どんな問題なのか、噂話からどこまで得られるかは時の運である。
 相嶋は、聴き役を装いながらじっと面々を見回した。
「落第? もう一年遅れるってことか……」
「いや、それが違うらしいんだよ」
「落第じゃねぇの?」
「それよりもっと酷い」
 一人が声を低めた。周囲が自然と輪を縮める。
「基準点とれなきゃ、学年全員だろうと容赦なく退学だって聞いた」
(……え?)
 一歩先を歩いていた相嶋の眼が、大きく見開かれた。
「それは……どこから聞いた? 情報は確実か?」
 会話が始まって以来、相嶋がはじめて皆を振り向いた。


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