劈頭の物語

Index - Next



 海軍の職業軍人を育成するその場所は、海軍兵学校と呼び習わされていた。

 入校して以来、どうしても我慢のできない相手というのが、相嶋にはいた。
 それは、頻繁に拳をうならせる最上級生――ではない。磐佐という名の、愚鈍な同期生であった。
「アイツほど見識の狭い奴は、見たことがねーな」
 一時期、この類いの言葉が、相嶋の口癖になっていた。このことからも、彼の嫌悪のほどは伺い知れるというものである。
 毎日何度も拳を振るわれるのは、この学び舎の伝統である。相嶋もそんなことを気にするほど小さな男ではない。
 ――しかし磐佐だけは、何故だかどうしても我慢ならなかった。
 自称博愛主義の相嶋をして、絶対に気を許せないと思わしめた――……唯一の人間が、磐佐だったのだとも言えよう。
 その発端は、入学してすぐに遡る。
「おい貴様、どうして俺に突っかかってくるんだよ」
「そういうところが気に食わねんだよ」
 磐佐を捕まえ、睨むようにして問いかけると、鋭い目付きで彼が答えた。
 普段からぶっきらぼうな言葉尻で、何を考えているのか掴みきれない。そんな磐佐の初めての言葉に、かちんときたのだ。

 公爵家の出自だからだろうか。当初、他の奴らにちやほやされることは多かった。
 殴られる回数こそ変わらなかったが、力の込め具合も違う。音で分かるのだ。周囲にはいつも数人の仲間が集まっていたし、みな実家の格に従って、公爵相嶋家嫡男をそれなりに丁重に扱った。
 そして彼自身も、それを甘受するだけの処世術を持っていた。
 それがどうしたことか、磐佐だけは最初から、そんな態度を見せなかった。普通に会話をするどころか、軽侮や侮蔑、敵視の気配すら感じられた。
 悪意は雰囲気で分かる。相嶋はすぐに磐佐の視線に気が付いた。
 そして件の言葉を交わし――相嶋も、磐佐を「敵」と認識した。



 世界は危ういながらも均衡を保っていた。
 戦争が起きる気配もなく、見通し十年は差し迫った事態にならないだろうというのが、常識的な通説であった。
 軍人が白眼視されることも少なくはなく、多くの高給取りを育てる必要がなかった兵学校は、必然的に門を狭めるという道を辿った。
 自衛用の将兵が、ある程度在れば、それで良かったのであろう。
 結果、相嶋の同期として卒業し世に出た海軍将校は、わずか五十名に満たなかった。

 これがそのうち二人の、劈頭の物語である。


Index - Next




@陸に砲台 海に艦