第十五章 三矢陣 −4−

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 元春率いる新庄勢八百余が、がさがさと草木をかき分けて上っていく。その後ろ姿から隆元は、じっと視線を逸らせないでいた。
 昼なお暗い原生林、夜ともなると、わずかに離れるだけでも、あっというまに互いを見失う。事実先陣の新庄勢が袂へ向かった時点で、本陣から見ると元春がどこにいるのか、すっかり分からなくなっていた。
 とはいえ新庄勢は、山陰の険しい山にもの慣れているものか、困った様子も見せず順調に一人また一人と山の中へ消えていく。
 やがて新庄勢が消えると、元就がゆっくりと立ち上がった。
「……よし、我らも支度をするのじゃ。すぐに上れるよう、準備をせよ」
 各将が馬を引く。険しい山が待ち構えているのは、とうに承知済みだ。全体の気が、すぅっと引き締まる。
 鎧を整えている元就に、歩み寄ってきた志道広良が、笑いを含めて釘をさした。
「殿、途中でへばったりせんよう、注意してくだされ」
「志道広良、おぬしこそ傘寿を祝ったばかりでしょうて。……山道で老人が倒れておっても、担いで登る余裕はありますまいからのぅ」
「なんのなんの、わしはまだまだ現役じゃて。大殿こそ陶晴賢と刃を交える前に、年にやられては元も子もない」
 片や八十、片や五十を過ぎた二人の会話に、傍で聞いていた者たちが顔を見合わせる。
 年上目上に何を言うでもないが、最も危惧するところは実は、老将の身体であったりするのだ。
 昔から病弱な隆元も心配ではあるが、家臣を加えても頭抜けて若く、しかもいまが盛りの年だ。一方こちらはどうなることか。世々の寿命を思えば、明日にもぽっくり逝っておかしくない。
「戯言よな、お二人の申しておるのは戯言よな!」
「そうじゃ、それはもちろんそうじゃ。とはいえ自然、何かあったら……。……よいか、馬を疲れさすな! いざとなったら荷物が増える」
 桂元忠と福原貞俊が、ひそひそと言葉を交わしている。その脇で児玉就方は、海岸線と山肌を交互に見つめ、倒れた老将を運び出す道筋の検討に余念がない。
 隆元の傍に児玉就忠が歩み寄り「いざとなったら大殿は、私と弟の就方が引き受けましょう」と耳打ちすると、隆元は思わず吹き出してから「ついでに志道広良殿も頼んでいいか」と返した。

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