第十五章 三矢陣 −2−

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 陶軍が近付いて来る大船団に気付いたのは、互いの姿形がはっきりと見て取れるようになった、その頃になってからであった。いつの間にか風は勢いを弱め、雨音が耳を静かに満たしている。波がわずかに低くなり、波音が微かに響いて、ようやくその影に気付くことができたのである。
 目を凝らせば確かに、雨音と波の音、その向こうに彼らはゆっくりと、漕ぎ寄って来ていた。
 それを見て、船中につかの間の睡眠を取っていた兵たちは、慌てて飛び起きた。
 その日の昼間には、村上水軍が毛利へ援軍を差し向けたばかりである。無論陶晴賢も、村上水軍へ援軍を要請していたことは、周知の事実であった。
「あの村上が、陶をおいて毛利の味方につくということは……まさか、何か毛利に秘策があるのではないか」
 誰しもその思いが、多かれ少なかれ胸をよぎっていた。
 倍を数える陶軍が、負けることなどあるものか。そう自分に言い聞かせてはみるものの、しかし勝負は時の運。数を恃んで敗れし武将は、歴史に挙げればキリがない……――
 そんな最中の軍船である。敵味方も分からない。辺りは一挙に緊張に満ちた。
「何者か! 名乗られぃ!」
 鋭い声が響く。弓手が刀に伸び、寸の間息が止まった。
 と、雨音を掻き消すような腹に響く大音声が、鋭く暗闇を引き裂いた。

「我ら筑前国より宗像秋月千手、緒を連ねて加勢に参りたるぞ! 此船ども、ここを開け候らえぃ!」

 味方か……――!
 瞬間、周囲は歓声に沸いた。
「おぉ、よう参られた、よう参られた!」
「はるばるかたじけない、これで我らの勝利は約されたも同然じゃ」
「なんとも心強いことよ、のぅ!」
 笑顔が交錯する。安堵の色を浮かべ、船がざぁっとその場を開けた。
 船団が静かに、その中心へ分け入ってくる。綱を投げ渡すと、心得たように船を繋ぐ様子が、言い知れない安心感を抱かせた。
「おぉおぉ、その様子では海に慣れておられるのか、なんとも心強い!」
「あいにく酒は出せぬが、勝った暁には、相当の恩賞が出ようぞ」
 ざわざわと周囲が沸き立つ。しかし肝心の援軍は浮かれた様子を見せず、一雑兵までもが「かたじけない」「ありがたい」と、言葉少なに応えるばかりである。なんとも、練兵の証ではないか。
 戦の緊張感を失わず、援軍だからと奢ることもない。心強い者達が、味方に付いてくれたものだ。
 上陸してきた援軍が、時を待ち息を顰めるのを見て、厳島神社周囲の布陣はにわかに沸き立った。

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