第十四章 包ヶ浦 −1−

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 亥の刻、全軍が厳島へ上陸した。一兵も失うことなく、ずらりと居並んだ自軍の眺めに、次男の元春が口角を持ち上げて兄へと耳打ちした。
「やはり厳島大明神の御加護がございましょう。この戦、必ず勝てます」
「あぁ。そのためにも、社殿を傷つけぬよう、互いにくれぐれも気をつけようぞ」
 隆元が微笑む。暗闇といえど、いまだ降りやまぬ雨のきらめきで、その横顔が夜闇に映える。「承知しております」と嬉しげに答えて首を巡らせた元春の目に、味方新庄勢のざわめきが目に入った。
「この島に参ったのは、生まれて初めてじゃ」
「あの山の向こう側に、厳島の社殿があるそうな」
 聞こえてきた話し声に、元春の眉根が寄せられた。
「……兄上、御前失礼を」
「あぁ、陣を調えてこい」
 今度は面白いのをこらえるように、隆元が目を伏せて笑う。元春が苦渋に満ちた顔でぺこりと頭を下げ、そうかと思うと自軍へ戻り「静かにせんか、参詣はこの戦に勝ってからにしろ! 厳島大明神は女神じゃ、田舎者がと呆れられぬよう奮迅するのだ!」と大音声をあげるのを横目に、とうとう隆元がくすくす笑い声をあげた。
「あの勢いなら、元春が先陣で問題ないだろう」
「桜尾城を落としてから、いまだ勢いが劣らぬと見えますなぁ……」
 福原貞俊が呟く。
「しかし本陣は、少し落ち着き過ぎじゃ」
 福原貞俊の隣で、元就が小さくこぼした。
 その言葉通り、戦の重大性を分かっていると言えば聞こえはいいが、新庄勢に比して本陣はいやに静けさが増す。
 軽口を叩くどころか、それぞれが息を殺してしまっている様は、士気が高いと言っていいものか。
「なんとかせねばな」

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