(隆元様には浜で、我らの帰りを待っていただきたいものだが) 簡単に引き下がる隆元でもない。そう思うと、赤川元助の口から自然と溜息が漏れた。それを隣の桂元澄がちらりと視界に入れると同時に、件の人物が姿を現した。すでに具足に身を包み、いつでも出陣できる用意を調えている。 「お呼びですか、父上」 「おぉ隆元か。いままでここにいる元澄と、元助とも話しておったのだ」 元就の言葉を聞いて、桂元澄が物言いたげに顔をあげた。「隆元の意に沿わないことを、わざわざ言うのも気が引ける。せめて、家臣の意見であることを強調しておこう」と、そういう腹らしいのだ。 しかし聡明な長男は、元就の腹をすぐに見抜いていた。そもそも家臣の意見といえど、元就が呑んだからこそ自分が呼ばれたのである。 「前口上はいいですから、父上、出陣前になにを仰りたいのです?」 口調が荒い。元就が何を言わんとしているのか、察している。 それでも言わねばならないと、元就がためらいがちに息子にいいわたした。 「隆元。こたびお主は、元澄とともにここに留まるのじゃ」 それを聞いて、隆元はしばらく黙っていた。それに力を得て、元就が言葉を続ける。 「もしもお主に何かあれば、毛利家そのものが危うくなる。けしてお主の力を知らぬわけでも、信じておらぬわけでもない。しかし万が一ということがあろう」 しかし突然顔を上げた隆元は、突如自らの具足の上帯をとると、すらりと刀を抜いて言い放った。 「元澄殿の申す通りとなり、自然この戦で毛利が絶えるならば、毛利はそれまでということでござりましょう。それならばこの隆元、なおのこと毛利軍の先に立ち、父上元就公とともに厳島に渡ります」 言ったかと思うと隆元は、突如刀を振りかざし、驚く三人の前で二度と結び直せぬように具足の紐を断ち切った。そしてそのまま誰より先に、元就と同じ船へと乗り込んでしまったのである。 唖然としてそれを見ていた桂元澄が、にやりと笑って元就の顔を見た。 「まったく、誰があのように育てたのやら」 「大内義隆殿も陶晴賢殿も、人の育て方を知らぬとみえる」 陶晴賢がいる厳島を見やり、元就がうそぶく。赤川元助が溜息をついて、やれやれと苦笑した。 「……まぁ、しかたありませぬな」 「これでますます、わしらは勝たねばならなくなったな」 「絶対に負けぬというのであれば、わしがここに留まる意味もないということじゃろう。ならばわしも、厳島に渡ろうかい」 「いや、元澄は残るのじゃ。乗る船の割り当ても、名を記してもおらんからのぅ、今更老人一人連れていけるものか」 元就の言葉に、「結局わしだけ留守番かい」と桂元澄がぼやいた。 「まぁそう言うな。陶晴賢の首実験は、桜尾でおこなおうぞ。その準備でもしておけ」 元就が笑う。続いて赤川元助が、「隆元様はお任せ下され」と笑って、ゆっくりと立ち上がった。 「一夜陣である。全軍、厳島へ!」 強風吹き荒れる波高き瀬戸の暗闇を、何十もの影がいく。微かな櫓の軋みすら風の音にかき消され、どこまでが海でどこからが空であるのか、右を見ても左を向いても見ても分からない。まるで地獄への道行のようだと、緊張が染みわたる。 確かなことは、この行軍が陶に知られているはずのないこと、ただ一つであった。 そしてその一つこそが、毛利元就率いる三千余の軍勢に、勝鬨を約している。 |