第十二章 地御前 −1−

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 酉の刻である。
 大粒の雨が激しく瀬戸の海原を叩き、天地に雷鳴がとどろき始めた。
 場所は地御前。元就が陶晴賢との決戦の舞台に選んだ厳島を、眼前に控えている。
 各々が海を渡る準備を始めた。武将たちの顔にも、厳しい色が見え隠れし始めた……――そのところであった。
「大殿、申し上げたき儀が」
 一人の武将が、膝でにじり寄りながら低い声で具申した。
 このたびの奇襲では対岸の桜尾城で守りを固め、万が一のおりには「毛利の本拠である吉田に戻り元就の他の血縁を守れ」と命じられた毛利家の重臣、桂元澄である。
「なんじゃ、おぬしも厳島に渡るべきではないと申すか」
「まさかそのようなこと! こたびの戦は武士の晴れ舞台なれば、私も厳島に渡り敵に渡り合いとうございまする。しかし恐れながら、戦に絶対ということはござりませぬ。大殿の策に漏れはなくとも、自然陶晴賢が単身奮戦し、また厳島の山神が戦に怒り地滑りを起こらせぬとも限りませぬ。歴史とひきくらべ、御考慮なさいませ」
「なにがいいたい、元澄」
「若殿は、隆元様は、守りにいらせられるべきかと」
 桂元澄の言葉に、元就は「ふぅむ」と唸って顎髭を軽くしごいた。桂元澄の言葉を聞いていた赤川元助が、即座にその場へ頭をたれる。
「桂元澄殿、よく言って下さいました! 大殿、私も若殿は後ろから厳島の毛利を支えるべきかと存じまする」
「赤川元助もそう思うか。そうじゃな、わしもそのことに関しては、どうしたものかと思うておった。元澄にしては、よいことに気付いたな」
 元就が低く呟く。大将の前で頭を下げていた桂元澄と赤川元助が、ちらりと目を見合わせた。そもそも毛利の跡取りである隆元の首を、狙わぬ者はいないのだ。それは、追いつめられた陶晴賢の軍勢でも同じこと。老境にさしかかった元就よりも、苦境に陥った陶晴賢が狙うのは、跡継ぎの首である。正しく、毛利家の息の根を止めるために。
 やがて顔をあげた元就は、近習に隆元をつれてくるように命じた。

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