第六章 決断 −1−

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「兄上おひとりで出陣なさったのですか?!」
 元就の次男、吉川元春が大声をあげた。
「なぜ隆景も連れて行かせて下さらなかったのですか! 隆元兄上おひとりなど、とんでもないことです!」
 三男である小早川隆景が悲鳴を上げて、はためく幔幕の向こうへ視線を走らせる。
 陶晴賢の反撃に隆元が討って出たと聞いて、二人の弟は平静ではいられなかった。
「そう大声で言うな、聞こえておる」
っ  父親の元就がそう言って二人をいなしたが、その声にも覇気はなかった。元就だけではない。陣全体が、どことなく沈んだ空気を漂わせている。
「隆元は、お前たちが思うほど弱くはない。……必ず、生きて帰ってくる……じゃろう」
 元就がそう言って、両指を組んだ。唇をかみしめ、視線がせわしなく左右に動く。大丈夫と思ってはいても、感情が納得をしないのだ。
「しかしきっと、今頃兄上は寂しい思いを!」
「ただでも副将であらせられるのです、何かあったらどうなさるおつもりですか! せめて我らをつけて下されば……!」
 納得しないのは元春や隆景も同じで、今にも走り出したそうに、うずうずと中腰になった。しかし互いに牽制し合って、走り出すにもためらいを見せている。
 勝手に援軍に走れば軍規を乱すであろうし、何より兄の隆元が許すまい。
 普段から暴走の気が見え隠れする元春には、それだけで兄の気をもませているという負い目があった。
 三男隆景は最初の城取りに遅れ、これも隆元に申し訳なさを感じている一人である。
 さらに、少しばかり頼りなく映る兄のことを、二人はこの上なく恋慕っていた。当の隆元が知らないところで、二人の好感度獲得に向けた努力は涙ぐましいばかりである。
「先日は稲薙をなさったと聞きましたし、戦術的に兄上を信頼していないわけではないのですが」
 ぶつぶつと元春が言って、視線を幔幕の隅へ飛ばした。
 陶晴賢たちに兵糧を渡さないため、すでに周囲の稲をなぎ倒して回ったという。戦略的にも間違ったことはしておらず、戦国武将として隆元の腕を見くびっているわけでもない。
 しかし、それとこれとは話が別だ。
「一昨日も昨日も、攻撃を仕掛けたと言うではありませんか!」
 元春のあとをうけて、隆景がかみしめていた唇を開いた。
「もしも、万が一逆に陶晴賢に押され、兄上が討たれるようなことがあれば……」
 その瞬間、元就と居並んだ家臣たちが、同時にビクッと身体を震わせた。
 何を想像したのか、隆景が鼻をすすりあげ、小さくしゃくりあげた。
「私は、私は生きてはおれません!」
「そのようなことがあれば、わしは陶晴賢を討って若の仇を取ったのち、後を追って自害いたしまする」
 黙って聞いていた志道広良が、震える声で言った。
「そのような、不吉なことを……」
 元就が、弱々しい声でいさめようとした時だった。
 遠く、早馬の蹄の音が響いた。
「副将隆元様より早馬です!」
 ……その場にいた全員が、その場に総立ちになった。

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