第五章 出陣 −2−

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 突然、鬨の声が上がった。
「今じゃ、突っ込め、突っ込め! 勝ったとて退却を許すな、あとを追うのじゃ!」
 毛利の軍勢である。
 副将隆元率いる毛利の軍勢が折敷畑山を駆け下った宮川房長と、凄まじい衝突を繰り広げたのだ。無論その背後には、大将元就の姿もある。
 当初からの計画にそって、まず本部隊が走り折敷畑山の麓を抜け、背後の明石口から襲撃を開始した。
 無論宮川房長も、即座にそれに応戦した。
「慌てるな! 駆け下る勢いに乗じて、敵陣に穴を開けよ!」
 叫ぶやいなや全軍を繰り出して、宮川房長自身も、荒武者振りを存分に発揮した。その様は、軍事政権下で毛利との戦の先駆けをまかせられるに、相応しいと言える動きだった。
 しかし、相手が悪かった。
 元就は息子である隆元の陣営に、家中の有力武将のほとんどをつけて戦場へ送り出したのである。
 すでに勢いに乗り、負ければ毛利が潰えるという重圧を背負った者たちだ。その勢いは、予定とは別の方向に山を駆け下りざるを得なかった宮川房長の、比ではなかった。
 しばらくするうちに、じりじりと宮川房長の軍が、後退を始めた。
 すぐに宮川房長も、味方の様子に気がついた。勢いに押されている。このまま突き進んでも、全員討ち死にするのが落ちである。
「引け、ひとまず引けーい!」
 軍配を振って、宮川房長が叫んだ。
 ……このとき彼は、すでに毛利の術中にはまっていた。

 陣が退却を始めた、まさにその瞬間だった。
 どこからか、低い地鳴りのような、不吉な音が響いてきた。
 近付いてくる。
 ――後ろか?
「これは、何の音じゃ!」
 宮川房長が慌てて馬の轡を返し、側近に尋ねた。
「背後から、背後から吉川の旗印が!」
 血を吐くような返答に、さぁっと血の気が引くのを、あたかも他人事のように感じた。吉川と言えば、猛将吉川元春と熊谷信直が率いる、毛利の中でも精鋭の軍事部隊である。
 言葉を確かめるべく、振りかえるまでもなかった。
 背後から鬨の声が聞こえ、次々に武将の名乗りが聞こえた。
「御首級頂戴つかまつる!」
 かすかに聞こえたその声に、宮川房長は一度唇をかみしめて……やがて、小さく笑った。
「申し訳ありませぬ、御屋形様。……守りきれそうにありませぬ」
 陶晴賢がいる方向に一礼して、彼は勢いよく、馬の頭を返した。

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