第四章 決戦 −3−

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 同日天文23年5月12日早朝、総大将元就次男の吉川元春は、その旗本をひきつれて新庄の日野山城を出発した。
「父上元就を総大将、兄上隆元を副将として、本隊が郡山城を出発しておるはずじゃ! 毛利の輩に遅れを取るな!」
 猛々しい声が、皆の心を震わせる。鬨の声がこだまとなって山々を震わせ、それがさらに互いの身を引き締めた。
 己が大将吉川元春の戦の腕は、あの毛利元就に勝るとも劣らぬと、吉川勢の誇りも高い。山深く雪多き山陰で鍛えられた将兵たちは、元春扇動のもと、凄まじい勢いで山を下った。
 またたく間に、総勢が可部に揃う。
 源平合戦で音に聞こえた、あの熊谷直実の血を引く豪将は、すでに鎧かぶとに身を包み、娘婿の到着を手ぐすね引いて待ちかまえていた。
「婿殿、遅うござりましたなぁ!」
 縁側まで出てきた武将の豪快な声音に、吉川元春がやはり太い声で大きく答える。
「申し訳ない、兄上達もすでに出陣しておるはずじゃ。すぐに総勢を整えましょう!」
「ついに陶晴賢との戦でござるか、腕が鳴るわい!」
 熊谷信直が力瘤を作って、髭面に深い笑みを刻んだ。武張った婿舅の意気は、寸分の狂いもなくぴったりと合わさっている。
 同時に、兵たちの方でも歓声が上がった。あの鬼吉川元春の軍勢が……そしてあの熊谷信直の兵力が、いまここに集結したのである。
 この世のもの恐るるに足らずと、いやおうなく士気は高まった。
「馬の用意はできておりますか?」
 元春が鞍にまたがりながら、にやりと笑って義理の父に問うた。待っていたかのように、熊谷信直が庭へ下りた。合わせて小姓が、いそいそと馬をひいてくる。大柄な信直にふさわしい、堂々たる駿馬だ。
「これはなんと立派な」
 豪快に元春が笑い、熊谷信直がさっと身軽に馬へまたがった。そしてぴしりと、鋭く鞭を入れた。
 待ちきれないかのように、軍勢が一時に走り出した。
 こけつまろびつしながらも、誰も足を止めはしない。むしろ先駆けを争うかのように、皆が一度に山を押し下り谷を抜け、海を目指す。
 鬨の声すら上げながら、山陰の力も強き軍勢が海へ下り廿日市についたのは、まだ日が空たかくに上ったばかりのころのことだった。
 細作が入り、本隊はすでに金山城を攻略したと伝えてくる。赤川元助が城番に収まったとのことだ。
「本隊はすでに、一城を落としておるそうじゃ!」
 元春が声を張った。呼応するように、軍勢が声を上げた。辺りが再び鎮まるのを待たず、ひときわ大きな元春の声が、群集に朗々と響きわたった。
「我ら山陰の兵も負けてはおれん! これより桜尾城へ攻め入り、戦の要である厳島を、対岸に控えることとなる! 誰一人遅れをとるな、怖気は捨てよ、桜尾城を奪うのじゃ!」
 若年の元春の凛とした声に熊谷信直は、よき婿殿を得たものじゃと笑んで、続いて采配を打ちならした。
「あの城は入口が一つきり、三方は海に囲まれておる。我らでなければ、とても落とせまい。勢いを持て、入口の守りを突き崩すのじゃ! 陶晴賢の家臣を海へ押し出してくれようぞ!」

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