それまで孫を抱いてあやしていた元就が、突如桂元澄としばらく立ち話をしたかと思うと、身をひるがえして隆元に歩みよった。 「隆元。兵の準備をいたせ。すぐに出陣の準備じゃ」 「ち、父上? まさか陶について、三本松城へ攻め入るのですか?!」 これまで元就が独断で即決していたさまを、隆元は誰より近くで見ている。思わず声を荒げると、孫の幸鶴丸以上に元就が飛び上がり、慌てて人差し指を唇へ押しあてた。 「隆元! 幸鶴丸が驚いてしまうじゃろうが!」 「そのようなこと……っ! それより父上、どうなさるおつもりですか、出兵の準備とは!」 「その心配はあるまいて」 激昂しかけた隆元の肩に、とつぜんふわりと手が載せられた。 ハッとして振りかえり、そしてそこに桂元澄の笑みをみて、思わず隆元は二人の顔を見比べた。 「殿も、若や幸鶴丸殿に、より広い土地を残したいでしょうなぁ。尼子を恐れる必要もないような、広い土地を。まだ言わせまするか?」 桂元澄が、詠じるように元就の顔を覗き込む。 「大丈夫じゃ元澄、いまさら決心を違えはせん。千慮無惑の心意気、いまこそ見せてくれようぞ」 元就がそう言って、晴々と笑った。 その顔をみて、隆元は思わず目を見開いた。 自らの父でありながら、このような表情を、隆元は滅多に見ない。生死を分ける戦を前にした男の顔を、隆元は初陣のとき、自らの目で知ったのだ。 あぁ、これはその顔だ。父は決心したのだ……――。 「敵は陶晴賢。出陣は明日じゃ、可及的速やかに元春へ早馬を出せ。平賀弘保にも使者を立てよ、すぐに桂保和と坂保良を呼んでまいれ!」 「はっ!」 元就の言葉に、元澄がにやりと笑い、頷いた。 伝令を探し駆けていく桂元澄の後ろ姿を、ただじっと見送っていた矢先、とつぜん元就が静かな声で呟いた。 「……そなたが望んだとおりになったが、お前の思っているような、大内義隆殿の仇討ちではない。それをゆめゆめ忘れぬよう」 それを聞いて、隆元が元就を振りかえった。 「違うのですか」 「これは現形だ。……わかるな、隆元」 現形……――情に流されたのではない、毛利の行く末を見定め決めたことなのだと、元就が小さく答えた。 その目に、冴えざえとした冷ややかな知性の色をみて、隆元は小さく息をのんだ。 情だけで動く若造とは違う。 その瞬間、隆元は知った。 自らの決断は、多分に私情によったものであった。しかし元就の決断は、あくまで毛利の勝利の道筋を探し、見つけたための決断であったのだ。 陶晴賢と毛利元就、訣別。 天文23年、5月も半ばのことであった。 |