第三章 現形 −3−

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 あたりが春の気配をみせはじめた、翌3月の頭。
「陶晴賢めの廻文がまわっておっただと?!」
 桂元澄が、勢いよく床を叩いた。
「さよう。平賀弘保殿から、密使を捕えたと連絡があったそうじゃ」
 唇を真一文字に引き結んで、赤川元助が唸るように応える。
 いわゆる、毛利と離反することを確認するための、回覧書状である。
 自分の名前の上に合点と呼ばれる印をつけて、いざというときは毛利から離れると約定し、のちに書状を手にするものへの無言の促しにするのだ。『俺は陶晴賢殿に味方するぞ、お前も陶殿へお味方するよな?』と。
「して、合点はいくつあった」
 桂元澄の低い声に、今度は隆元が書状を取り出して、みなに見えるように床へ置いた。
「平賀弘保殿が、最初にうけとったらしくてな」
「熊谷や天野に、まだまわってはおらんようじゃ。……ということは、少なくとも平賀弘保殿は、毛利の味方であるということか……」
 そう言って、赤川元助がじっと書状に目をおとした。
 陶晴賢からの密使をとらえ、毛利側に送ったのである。これが陶晴賢に知られれば、睨まれるだけでは済まされない。
「平賀弘保殿、無二の覚悟をしておるということか……」
 その言葉に、周囲は沈黙に包まれた。
 実質的な実権を握る元就は、陶晴賢に対抗しようとはしていない。
 しかし隆元や周囲の状況は、着々と陶晴賢へ、刃を翻す空気を見せている。
「……みなももう少し、考えてくれ」
 そう言って立ち上がった元就に、みな視線を落として、平賀弘保から届けられた書状を見つめた。
 紙切れ一枚が、陶晴賢が毛利に危機感を抱いていることを、如実に示していた。

 部屋を出た隆元の肩を、桂元澄がとんとんと叩いた。
「若」
「……桂殿」
 隆元が振りかえり、低い声でその名を呼ぶ。
「書状、拝見致しましたぞ」
 同じく低い声で答え、桂元澄が隆元の隣を歩き、ゆったりした動作で縁側に腰かけた。
 そして庭に目をやってから、やはりゆっくりと振りかえった。
「……若が生まれたとき、わしも祝いに駆けつけたのは知っての通りじゃ」
「はい」
「色白の美しい、可愛らしい、この世のものとは思えぬ珠のような御子でのう。正直、元就の子じゃとは思えなんだ」
 桂元澄の言葉に照れ笑いを浮かべながら、隆元が隣に座る。
「昔から身体が強くなく、元就もお方様も、そしてわしらも心配しどおしじゃった」
 あれこれと薬を煎じたと思い出話に話されて、ぺこりと頭をさげた。
 一方桂元澄は、そこまで語ると突然、勢いよく身体の向きを変えた。
「その若が、こうして陶晴賢を討つべしと声高に叫ばれるとは、感無量でござる! そのような立派な男児に育って下さって、わしも嬉しい限りじゃで」
 それをきいて、ハッとうたれたように隆元が顔をあげた。見れば桂元澄は、老武将の貫録に満ちた髭面に、嬉しそうな笑みをたたえている。
「では桂元澄殿は、私の考えに、賛同していただけるのですか?」
「もちろんじゃ! 隆景殿にも、同じことをおっしゃったそうじゃの。そうじゃ。若のいうとおり、元就が陶晴賢に味方したとて、元就が陶晴賢に討たれんとは限らん。ここはいさぎよく、陶殿の御首級を頂戴すべきじゃ。のう? 若殿」

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