第三章 現形 −2−

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「しかしのう、隆元。みなもよく考えてみるがいい。吉見正頼が津和野で挙兵した。我らがそれに救援の兵をさしむけ、陶三万の軍と対峙する。そのとき必ず、北の背後から狙うてくる者がおろう」
 その言葉に、元就の娘婿である穴戸隆家が、涼やかな声で小さく呟いた。
「……尼子、晴久……――」
「その通りじゃ」
 元就が、穴戸隆家に向き直った。尼子といえば、毛利のすぐ北に陣を構える、きわめて強大な勢力である。北に力を持つものがいつもそうするように、尼子も例にもれず、じわじわと毛利の領土へ南下の機会を伺っている。
「きゃつらは常に、毛利の隙を狙うておる。我らの城が手薄となれば、尼子はすぐに兵をあげ、われらの領地を奪いにくるじゃろう」
「それが、陶晴賢との連合挙兵であれば……尼子も、容易には動けないのですね」
 穴戸隆家が、口を引き結んで頷いた。
「ものわかりのよい婿殿じゃ」
 元就が笑いながらつぶやく。そして背筋を伸ばし、その場に並んだ者たちを、順々にぐるりと眺めまわした。
 その場に静けさが広がる。外は木枯らしが吹いていた。すでに世は12月、吉見正頼と陶晴賢の板挟みになってから、2カ月が過ぎようとしている。
「……いま言うた通りじゃ。わしは陶に味方した方が、のちのちの毛利に安泰を導くのではないかと、そう思うておる」

 評定が終わると、憤りを隠そうともせず部屋を出ていった隆元とは反対に、元就は脇息にもたれて大きなため息をついた。
「……殿?」
 その場に残っていた児玉就忠が、小さな声で話しかけた。
 元就がちらりと顔をあげ、気遣わしげな視線にあって、その唇にかすかな笑みを浮かべる。
「就忠……おぬしとも、長いな」
「はい」
 児玉就忠が頷くと同時に、廊下がわずかに軋んで、桂元忠が顔をだした。
「殿、児玉就忠殿も一緒でしたか」
「おぉ、桂元忠か。ここへ座れ」
 元就が手を述べてさし招き、桂元忠をもそばに引き寄せる。
「こうしてみると元忠、おぬし、兄には似ておらぬのう」
「いやいや、殿。桂元忠殿、桂元澄殿と、内面はよく似ておられます」
 にじり寄ってきた桂元忠に、児玉就忠と元就がくすくすと笑う。桂元忠は児玉就忠の言葉を聞き、少し照れたように頭をかいた。
「いや……兄ともども、身体の丈夫ばかりが取りえでござる」
「その正直でまっすぐなところが、おぬしのよいところじゃ。桂元澄はさきほど、ここで弓矢に自分ありと、豪語していきおった」
 いちど髻をとって引き回してやりたいわい、と皮肉気に笑って、つと元就が固い表情をつくった。
「……二人は、元就は耄碌してきたと思うか」
「まさかそのような!」
 元就の言葉に、二人が同時に首を振った。それを見て、元就が小さく笑う。
「いや、正直に言うてくれて構わん。年をとり、石橋を叩いて渡るようになってきたのは事実じゃ。……隆元のほうが、いくらも先を見てものを言っておるのかもしれん。わしのような老人のあとを、ついてくる武将などおるのかのう」
 語尾が小さくなり、もはや独り言に近い。
 評定の場にいなかった桂元忠が、児玉就忠に「何かござったのですか?」とささやいた。しかし児玉就忠は、小さく笑うだけで、桂元忠の問いに答えようとはしなかった。
 ただ、代わりに元就の手に自分の手を重ね、連歌を詠じるようにゆっくりと言った。
「若殿も、大殿も、なにも間違ったことは言うておりません。物事には、たくさんの面があるもの。それに我らは、いつまでも大殿についていきまする」
「私も、大殿が一番でござりますれば!」
 児玉就忠の言葉に共鳴するように、桂元忠が胸をはる。それを聞いて、元就はぽかんと目を見開き、児玉就忠は耐えきれぬというようにくすくす笑った。
「本当に殿の言う通りじゃ……おぬしは兄より、ずっとよい人柄よのう」
 それを聞いて、元就もようやく、肩を震わせて笑い始めた。
 ――その心中は誰に図れるものでもなかった。
 吉見正頼に味方できない理由を反芻しながら、元就はちらりと庭へ目をやり、その寒空に唇を引き結んだ。
 あれから二カ月たっているのだ、と。

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