第三章 現形 −1−

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 吉見正頼挙兵の報が元就のもとにとどいたのは、天文22年10月もなかばをすぎたころ、秋がそろそろ終わろうかという涼やかな季節であった。
 それも、兵をあげたという知らせだけではない。
「我が義理の弟にもあたる、大内義隆殿の仇を討ちたい。ついては毛利家にも、後詰めの兵を出してはもらえぬか」
 担当直入にあらわせば、そういうことである。
 そしてこの時期ほぼ同時に、同じく出兵の要請をしてきた者がいた。
 吉見正頼が戦いを挑んだ相手、陶晴賢張本人だ。
 大内義隆に代わって、現在の当主は大内義長だ。その後ろ見が陶晴賢であれば、彼の命令は、その主である大内義長の命令も同じことであった。大内に従属している毛利の立場からいえば、この命令は是非もない。
 しかし毛利は、大内氏の家来ではなかった。あくまで、その庇護の傘の下にいるだけだ。
 すなわち毛利は、自らの判断によって、陶晴賢と吉見正頼、どちらにつくかの判断を迫られたのである。

 この知らせに、毛利家中はかんかんがくがくの大論争に陥った。
「このさい陶晴賢と手を切って、吉見正頼についてはどうか?」
 そう述べる者も、決して少なくはなかった。彼らの言葉の背後には、つい先日以来の、陶晴賢との確執があった。すなわち先日元就が落とした城を、陶晴賢は元就を無視して、自らの武将に与えていたのである。
 元就の、ひいては力をつけてきた毛利の力を恐れてのことなのだろう。だが、これが毛利によからぬ感情を抱かせているのは、まぎれもない事実であった。
 その筆頭が、かつて大内義隆の寵愛を受け隆の字を自らの名にまで頂いた、毛利家当主の毛利隆元である。
「父上もご存じのはずです。いまや大内義長殿は、陶晴賢の傀儡にすぎませぬ! この場で毛利がなすべきことは、陶晴賢の御首級を挙げ、安芸に毛利ありと知らしめることではありませぬか」
 普段は大人しく父の影に隠れていた隆元が、珍しく発する覇気にあふれた言葉に、元就は評定の場で少し目を伏せた。
「隆元、よく考えてみよ。陶の大軍の前に、吉見正頼がどこまでやれると思うか。我らが動かせるのは、せいぜい三千騎。我らの援軍が、どれほどの役に立つというのだ」
「しかし毛利の三千騎、おのおのが一騎当千の荒武者でありましょう!」
 そう言って、隆元が評定に集まった家臣たちを見渡した。
「のう、そうであろう!」
 主君からの言葉に、その場に居並ぶ譜代家臣たちが、ざわりと小さくさざめきをみせる。
 しかしすぐに、赤川元助が笑って頷いた。
「えぇ。この赤川元助、存分の働きをして見せましょう」
「よう言うた!」
 隆元が膝をうって頷く。すると負けじと、桂元澄が大きく上半身を乗り出した。
「この桂、弓の腕には自信がありまする。いかな戦の場にも、弓矢に桂有りと、我が名をとどろかせてくれましょうぞ」
 弓矢といえば、弓道だけを意味するものではない。戦に我が名有りと豪語した桂元澄に、隆元が強く頷いて父元就を振りかえった。
 視線がぶつかり、元就が困ったように頬をかいた。

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