元就の言葉に、船奉行の児玉就方が頷いて、乗り出すように膝を進めた。 「すでに各組ごと名を確認し、船に名前書きをほどこしております」 「わざわざ名を? そのようなことまでしておったのですか?」 陶に比すれば寡兵と言えど、その人数は用意に数えられるものでもない。毛利の傘下の名を一人一人調べたのかと、福原貞俊があきれたように問いかけた。 「はい。厳島に渡るまでに、少しでも騒動があるようではならん、と」 「船に、合い印もつけておられるようですな。確かにこれならば、自分の船を見失うこともあるまい」 海沿いの船を見渡しながら、桂元忠が言葉を継ぐ。 「船へ乗り込むのは、法螺貝が合図でしたかな?」 「前の船に二十間あまりの間隔をもって、順々に船を押し出すこと、としております」 「さすがは児玉就忠殿の弟御じゃ、そこまで手を回しておるのか」 「いえ、すべては大殿の御指図によりますれば」 児玉就忠が、そういってちらりと目をやった。視線の先で、元就はじっと海を眺めている。 波が高い。 「よいか皆の衆」 視線を海に投じたまま、元就が背後の家臣達に言葉を投げた。 「全船かがり火を消すのじゃ。元就の乗る本船のみを目印に航行せよ。各々伝え忘れることなきよう」 「この暗闇で、この海を?」 「そうじゃ。陶晴賢に気付かれてはならん。櫓拍子も掛け声もいっさいを禁じる。隠密に行動することを心掛けよ」 それを聞いて、全員が息をのんだ。 船が沈もうが、転覆しようが、気付かれなくとも仕方がない。陶晴賢だけでなく、荒れた瀬戸の海をも敵に回すのか。 「……大殿、ほんまにこの海を渡るゆうんですか?」 「危ないと思うか」 福原貞俊の問いかけに、元就が逆に問い返した。 実直な山育ちの福原貞俊は、その言葉にしばらく海を眺めたあと、にこりと笑って元就に視線を戻した。 「……ふむ、なかなか楽しそうでござりまするなぁ」 「おぉ、なかなか言うのぅ貞俊よ」 豪胆な台詞に元就も肩を揺らして笑い、手を伸ばして厳島を指差した。 「見よ、こんなに近い。この天候で、誰も我らの動きには気づいておらん。天は我らに味方したもうた。陶はすぐそこじゃ」 「しかし大殿がこのような作戦を好もうとは。着実な策略を好まれる大殿には、いくら温い瀬戸の海とて、年寄りの冷や水ですぞ」 話を小耳にはさみ、桂元澄がちゃちゃを入れる。 「おぉそのことよ。年寄りじゃのうても、なかなか危ないことに変わりなしじゃ」 「ではなんとする」 狂言の相の手を入れるように、老将志道広良が言葉を挟んだ。 それを受けて、たくましく蓄えた髭を撫でながら、元就が再度児玉就方を振り返った。 「あまりうかうかしておれん、余計な荷物は持ってゆくな。兵糧はすべて船から降ろせ」 「それでは……」 「一夜陣じゃ」 今夜で、雌雄を決する。 雨粒に叩かれて、波はますます高くなってきた。 |