第十一章 一夜陣 −2−

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「支度はできておろうな」
 元就の言葉に、船奉行の児玉就方が頷いて、乗り出すように膝を進めた。
「すでに各組ごと名を確認し、船に名前書きをほどこしております」
「わざわざ名を? そのようなことまでしておったのですか?」
 陶に比すれば寡兵と言えど、その人数は用意に数えられるものでもない。毛利の傘下の名を一人一人調べたのかと、福原貞俊があきれたように問いかけた。
「はい。厳島に渡るまでに、少しでも騒動があるようではならん、と」
「船に、合い印もつけておられるようですな。確かにこれならば、自分の船を見失うこともあるまい」
 海沿いの船を見渡しながら、桂元忠が言葉を継ぐ。
「船へ乗り込むのは、法螺貝が合図でしたかな?」
「前の船に二十間あまりの間隔をもって、順々に船を押し出すこと、としております」
「さすがは児玉就忠殿の弟御じゃ、そこまで手を回しておるのか」
「いえ、すべては大殿の御指図によりますれば」 
 児玉就忠が、そういってちらりと目をやった。視線の先で、元就はじっと海を眺めている。
 波が高い。
「よいか皆の衆」
 視線を海に投じたまま、元就が背後の家臣達に言葉を投げた。
「全船かがり火を消すのじゃ。元就の乗る本船のみを目印に航行せよ。各々伝え忘れることなきよう」
「この暗闇で、この海を?」
「そうじゃ。陶晴賢に気付かれてはならん。櫓拍子も掛け声もいっさいを禁じる。隠密に行動することを心掛けよ」
 それを聞いて、全員が息をのんだ。
 船が沈もうが、転覆しようが、気付かれなくとも仕方がない。陶晴賢だけでなく、荒れた瀬戸の海をも敵に回すのか。
「……大殿、ほんまにこの海を渡るゆうんですか?」
「危ないと思うか」
 福原貞俊の問いかけに、元就が逆に問い返した。
 実直な山育ちの福原貞俊は、その言葉にしばらく海を眺めたあと、にこりと笑って元就に視線を戻した。
「……ふむ、なかなか楽しそうでござりまするなぁ」
「おぉ、なかなか言うのぅ貞俊よ」
 豪胆な台詞に元就も肩を揺らして笑い、手を伸ばして厳島を指差した。
「見よ、こんなに近い。この天候で、誰も我らの動きには気づいておらん。天は我らに味方したもうた。陶はすぐそこじゃ」
「しかし大殿がこのような作戦を好もうとは。着実な策略を好まれる大殿には、いくら温い瀬戸の海とて、年寄りの冷や水ですぞ」
 話を小耳にはさみ、桂元澄がちゃちゃを入れる。
「おぉそのことよ。年寄りじゃのうても、なかなか危ないことに変わりなしじゃ」
「ではなんとする」
 狂言の相の手を入れるように、老将志道広良が言葉を挟んだ。
 それを受けて、たくましく蓄えた髭を撫でながら、元就が再度児玉就方を振り返った。
「あまりうかうかしておれん、余計な荷物は持ってゆくな。兵糧はすべて船から降ろせ」
「それでは……」

「一夜陣じゃ」

 今夜で、雌雄を決する。

 雨粒に叩かれて、波はますます高くなってきた。

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