桂城1



 東雲刻が間近であった。
(桂の家が、わしの代で終わるか……上等じゃで)
 鎧を鳴らして座りなおし、元澄は一人低く笑った。しかし頬が引きつり、思ったような笑みにならないことは自身でも分かり、思わず左手で頬を軽く揉みほぐした。
 髭も綺麗に剃りあげ、つるりとした肌が親指に触れる。父親の豊かな髭を思い出し、元澄は僅かに目を伏せた。
 父広澄はすでに腹を切り、坂家長子としてのけじめをつけている。今度は元澄が、坂氏の血を組む桂家頭領として、父に並んで腹を切る番だ。
(ふん、悪ぅはない)
「兄上」
「!」
 突如声をかけられて、元澄は咄嗟に勢いよく振り返った。開け放したままの襖から、弟の元忠が顔を覗かせている。
「もっ……元忠かい……脅かすなや」
「兄上が勝手に驚いたんじゃ」
 自分と同じく鎧に身を包み、弟の元忠が部屋へ足を入れる。そして先程の元澄よろしく、その正面へ勢いよく腰を下ろして、にかっと笑みを浮かべた。
「俺は覚悟できとるぞ」
「そげなしょうもないことを言いにきたんかい」
「そうじゃのうて、兄上が覚悟できとらんなら、この元忠が介錯仕ろうと思っただけじゃ」
 弟の言葉に、元澄がかるく顎をあげる。大口を叩く元忠だが、実は心細いのやもしれないと、ふと思い至ったのである。
 元忠は元服を過ぎたばかりだ。乳臭さが抜けないうちから身内の責を引き受けて、切腹させるのは、さすがの元澄も気が引けた。しかしだからといって、元忠の助命を嘆願する意識は、元澄にも当人の元忠にもありはしない。
 すでに何度か元就から、籠城をやめるようにとの使者が届いてた。しかしそれらをすべて返し、元澄と元忠は、その道を一つに決めていた。
「お前の介錯はわしが責任もってやっちゃるわい」
 強く笑うと、元忠は一瞬だけ表情を歪め、そしてまたすぐに笑みに戻った。
「……ほんなら、頼むか」
 そして元澄がゆっくりと立ち上がった。続いて元忠が立ち上がる。ゆっくりとした動作で、元澄が襖を閉めようと、手をかけた。
 まだ明けやらぬ向こうから、馬の蹄の音が聞こえる。城の内外でてんやわんやの様子は、部屋にあっても感じられた。
「……すまんのぅ」
 元澄が、小さな声で謝った。
「謝る相手を間違えとるで。謝らにゃいけん相手は俺じゃのうて、元就様じゃ」
 気強い元澄が発した一世一代の言葉に、元忠が即座に返す。万一兄が謝ろうものならば、この台詞で返そうとしていたのであろう。
「……謝って、謝りきれるもんかい」
 そう言って、元澄は固く唇を噛み締めた。
 尼子の思わしくない介入を退けて、元就は毛利家を継いだ。数多の国人衆や大名に囲まれながら、それでも元就が野望を抱いていると知っていたからこそ、桂元澄はそれを支える気概で、元就を推挙した。
「わしは元就を押し立てた。……それが、蓋を開ければこの様じゃ。身内から反乱が出よる」
 思い出すだけで、奥歯が軋む。
 桂と血を同じくする者の反乱に、他の誰より元澄自身が憤りを覚えた。その首を捩切って厠へでも打ち捨ててやりたいと思った。血縁であろうと、その粛清が成ったと聞いて心から喜んだ。父の切腹は元澄の道理に適っていた。
「わしらができる、最後の仕上げじゃ」
 そして今度こそ襖を閉めようと、指先に力を込めた。
 その瞬間であった。
「もっ……毛利元就様が……っ!」
 誰の叫びともつかぬうちに、蹄の音が響いた。そして「下がれ、誰も寄らせるな!」との声が響き、次の瞬間には馬の首を巡らせて、元就当人が庭へ飛び込んでいた。

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