現実

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 相嶋が死んだという。
 数年前だったのだろうか、それとも数ヶ月しか経っていないのか、あまり詳しく聞いてはいない。
 名誉な死に様だったようだから、もしかしたら自分の預かり知らないところで戦死したか、仕事上の何かで殉死したのかもしれなかった。身体が帰ってきたという話は聞いていない。四散したのか、それとも波間に沈んだのだろうか。
 あまり強い衝撃を受けた覚えは、実のところない。意外とあっさり受け入れたように思う。学生時代から一番馴染みのあった同期の死だというのに、こんなにもあっさりと押し流してしまえるその一点で、日常はあまりにも大きな比率を占めていた。
「覚えておいてやるのが一番なのかもしれないけどな。でも最近、あいつの声とか、肩にのし掛かってきたときの重さとか、そういうのを忘れてってるんだ」
 苦笑いとともにそんなことを言えるほど、彼の存在は、過去のものになりつつあった。



 はっと我に返ってからも、しばらく自分がどこにいるのか思い出せないで、磐佐は呆然と記憶をたぐり寄せた。
 ぼんやりとあたりを見回して、ようやくそこが内地の建物の中であること、自分は事務のためにいやいやながらここにきていること、過去の文書をめくっている最中であったことを思い出す。
 現実世界は殉職や戦死が簡単に起きるような状況ではないし、もちろん相嶋も死んではいない。
(白昼夢でも見てたのか?)
 ふと目に留まった殉死者名簿を手にとって、何とはなしにめくっているうちに、立ったまま眠ってしまっていたのだろうか。
 なすべきことが終わったのに、柄にもなく書庫になんかこもっているから、こんなことになるのだ。
 ぱたんと本を閉じて、心中の澱を出すように、深く息を吐き出した。気持ちが悪い。
「生きてる生きてる」
 自分を安心させるために小さな声で唱え、磐佐は静かに名簿を本棚へと戻した。と同時に、突然両肩にずしりとした重みが加わって、その場に数歩たたらを踏んだ。
「わ、っと」
「こんなところでお前に会うなんて、珍しいこともあるもんだな。何してんだ?」
「あ、お前」
 振り返る。のぞき込まれていたらしく、わずかに眉を上げた表情にぶつかった。こういうときにかぎって、登場するのだ。ご本人が。
「あ、っと、生きてたのか」
 夢の中ではいっこうに思い出せなかった感覚と記憶が日常のものとして目の前にある。
 夢の中の出来事は、一つだけ事実だった。「いないことに馴染んでいた夢」をあっというまに押し流してしまえるという、その一点だけで、日常はやはり強いのだ。
 それが証拠に、相嶋の存在を忘れてしまっていた自分がすでに遠いものになっていることに、ふと磐佐は気がついていた。
「お? お、おぉ、生きてるぞ。なんだよ、俺と同姓同名の死没者でもいたのかよ」
 相嶋がぎょっと目を見開いている。
「いや、なんでもない。ただちょっとな、お前が死んでただけだ」
 気にするなと笑って、大きく伸びをした。こうしてみれば、あれが夢だったのが、よくわかる。
「は……ちょっと待て、詳しく教えろよ。俺が死んでたって、それどういうことだ」
 不穏な言葉を聞かされて、御当人が慌てふためいている。
 とはいえこればっかりは、気軽に振れる話題でもない。磐佐は再び「なんでもない」と繰り返して、もう一度だけ、小さく笑った。


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