故郷の港と外地の港、潮の香だけは変わらない。 すでに身体に染みついてしまっている香は、それでもどこか郷愁に似たものをもって、磐佐の鼻をゆるくついた。煙草の香でも完全には消し去れない、独特の香りだ。 静かな艦内は当直将校以外、例えば磐佐のような恋人は水雷だと豪語するようなモノ好きしか残っていない。みんな上陸してしまっているのだろう、碇を下して波間に漂う艦内は、静謐に満ちている。 平和だ。 煙草の煙をくゆらせて甲板から海を見下ろしていると、コツコツという小気味よい靴底が近づいてきた。 「……よぉ、何してんだ」 続いて届いた声の主は、振り返らずとも名を当てられる。磐佐はポーズだけで肩越しにその姿を見止め、すぐに再び視線を海原へと戻した。 「……いや、特に何ってことはねぇよ」 「皆上陸しちまったな。島崎参謀が、泊まってくるかもーっだってよ」 笑いながら相嶋が並み寄って、ポケットから煙草を一本取り出す。それを口にくわえて顔を向けてきたため、磐佐も顔を寄せて、煙草の火を移してやった。 真新しい煙草の火が、強く光を放った。 続いて大きく煙を吐き出し、相嶋は満足そうに口角を持ち上げた。 「やっぱ、甲板での一服はうめーな」 「……同感」 呟いて、磐佐も煙草の火を強くする。両手の上に顎を乗せ頬杖をつくと、相嶋がそれを真似て背を丸めた。 同期の所作を横目で眺めやり、ふと磐佐が首をわずかに持ち上げた。 「……そういやお前、上陸しなくていいのか? ここ、いいハイジがいるらしいぞ」 ハイジとは、高級娼婦のことを指す。女を抱きに行かないのかと、興味本位に訊ねたのだ。言いながら、ついでに視線をちらりと陸の方向へ向ける。 背の高い時計塔と見慣れぬ異国の風景が、そこには広がっていた。 「…………は?」 言われたことが分からなかったのか、相嶋が一瞬遅れて答えを返した。 「……お……お前の口からンなこと聞くとは……。って、お前こそ出てねーじゃねーか」 「俺はそもそも女が苦手なんだよ。知ってんだろ」 言いながら、磐佐が視線を巡らし、再び海上を眺めやる。 「でもお前は、自称女好きだし。とっくに女引っかけに行ったかと」 「……お前、俺をなんだと思ってんだ?」 「種馬」 それを聞いて、相嶋が勢いよく磐佐の頭を叩いた。 「って」 「冗談じゃねー、何でそんなイメージ持ってんだ!」 その拍子に磐佐の口から吸いかけの煙草が飛び出し、海原へ吸い込まれる。「あー……」と赤い灯を見送って、磐佐はしぶしぶ二本目の煙草を取り出そうと、ポケットの中へ手を遣った。 「それに言っとくけどな、ナンパにだって愛はあんだ。俺は遊びだけでスケ抱く人間じゃねーよ」 「じゃ、本気で好きになった相手を抱けたことあんのかよ」 「うるせー!」 言いながら、相嶋が自分の煙草を取って、磐佐の口へ無理に突っ込んだ。 吸い慣れない味に顔をしかめて、磐佐が軽く煙草を揺らす。もう一度きちんと銜えなおさせて、相嶋は満足したように身体を起こした。 「いーんだよ。だいたいンなところで処理しなくても、いざとなったらその辺で見繕えるからな」 「…………は」 相嶋の言葉の意味が分からず、今度は磐佐が一瞬遅れて返答を返した。 「その辺?」 「俺、両刀だもん」 相手が思考停止している間にそれだけ言い残して、相嶋が磐佐に背を向ける。そのまま彼の背が消えるまで同期を見送って、ようやく言葉の意味を理解した磐佐は、さぁっと青ざめた。 「えっ、待ってお前、何言ってんの!」 悲鳴に近い叫びを上げ、磐佐は慌てて、相嶋の後を追いかけ始めた。 |