晴れ舞台

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 宴もたけなわの折、突然ぽんと肩を叩かれた。
「よう、飲んでるか」
 磐佐が顔を上げる。途端にぐいと鼻を抓まれ、思わず眉をしかめた。
「なにすんらよ」
「なんだよ、飲んでねーじゃねえか」
 徳利を揺らした相嶋が、磐佐の手の中にある猪口を覗きこむ。そのままどかりと座り込んだ相嶋に、否応なく酒を注ぎ足された。
「ん」
 挑戦するような視線を向けられて、磐佐も口の端を持ち上げる。飲めないとでも思っているのか。
 そのままぐいっと一口で空けてみせると、相嶋がにっと笑みを浮かべた。
「よーし、なかなかの飲みっぷりだ」
「お前こそ、ちゃんと飲んでんのか。徳利だけ持ち歩いて、酌して廻ってるんじゃないだろうな」
「まさか!」
 肩を竦めた相嶋が、磐佐の猪口を奪い、手酌で一献空けた。息をつく相嶋の顔に、喜色を見る。
 編制替えが行われた、その直後の懇親会である。
 冷静さの権化と定評のある内地勤務から移ってきた相嶋は、それでもあっというまに、居並ぶ猛者に溶け込んでいた。

 相嶋は、開戦から数カ月というもの、いわゆる内地に配属されていた。
「お前の場所は、十分すぎるほど贅沢な配置なんだぞ」
 輸送用隊に配属されていた磐佐は、相嶋にそう言っていた。兵站確保よりも作戦の中枢の方が、いくらか「軸」となりうる仕事なのだ。
 しかし陸軍が目立った戦果をあげるなか、実質的な危険の少ない場所は、相嶋にとって不本意なものであったらしい。
 海戦の兆しを受けて、このたび大がかりな編成替えが行われた。
 機会を捕えた希望が叶ったことは、彼の顔を綻ばせるに、十分たるものであったようだ。
「実務経験少ないんだ。いろいろ、よろしく頼む」
 そう言って屈託のない笑みを浮かべた彼は、年若い面子で構成された駆逐隊の旗艦長を拝命していた。
 同期の磐佐と同じ隊に配属されたのは、何らかの意図があってのことなのだろうか。そうしたことに疎い磐佐には、誰の思惑がどう働いているのかなど、理解できないしする気もない。
 もしかしたら上層部は、公爵家の嫡男でもある相嶋の配置に困り、気安そうな者の居る場所を選んだのかもしれなかった。
(まあ、どうでもいいんだがな)
 そこに何らかの思惑があり、それが知れたからといって、何がどうなるわけでもない。

「まさかとは思うが、コネ使って圧力かけて、無理矢理移ってきた……ってんじゃないだろうな?」
「……さあな?」
 からかい半分の磐佐の言葉に、相嶋が肩を竦めて笑った。
 それを見て、磐佐自身も声を低くして笑う。互いに冗談と知っているからこそ、こんなことが言えるのである。
 相嶋の手から徳利を取り、手酌を開けたばかりのところに、なみなみと一献注いでやった。
「ほら飲めよ」
 戦時下の異動が、コネだけでどうにかなるものではない。それに彼が全くの無能ではないことは、よく知っている。なにせクラスヘッド、同輩中の主席なのである。彼が無能なら、その評価に困るのは磐佐自身だ。
「お前に飲ませに来たんだ、お前が注いでどうすんだよ」
「なんだ、俺の酒が飲めねえってのか」
 彼が明日、二日酔いで苦しむならそれも面白い。そう思って心中ほくそ笑んだ。
 瞬間、相嶋の目が据わった。同時に傍に座っていた磐佐の顔見知りの機関長が、ぐいと腕を掴まれた。
「……よーし分かった。……おい、そこの、橋岡……だったな?」
「はい?」
「ぐい飲みと一升瓶、あるだけ持ってこい! 今からこいつと飲み比べする!」
 相嶋の言葉が響き渡るや否や、周囲が大きな歓声を上げた。飛び入り参加を申し出るものや、料亭の女中を呼ぶもの、座をぐるりと開けるものもいる。
 逃げられない空気を悟り、磐佐も一つ息をついて、にやりと相嶋に向き直った。
「……降参するなら、いまのうちだぞ」
 そう言いながらおもむろに上着を取り去って、その場に放り投げた。すでにシャツ姿になっていた相嶋が、勢いよく袖を捲り上げている。潮風に洗われた仲間たちの歓声に、その姿はよく馴染んでいた。
(そういえば内地で、こんなにはしゃいでるのは、見たことなかったな)
 ふとそんなことを思ったが、すぐにどうでもよくなり、磐佐も腕を伸ばしてコップを受け取った。


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