普段と変わらない、爽やかな初夏の昼時のことであった。 緊急ラジオ放送が、硬くも高い声で告げた。 宣戦布告である。 戦端開かれる旨が、全国民に通達された。 周囲は妙に浮足立っていた。改めて通達された事実に高揚していたのは、もちろん磐佐も例外ではない。 「いよいよだなあ」 「今生これきりだとしても、桜の梢でまた会おう」 廊下で誰かと擦れ違うたびに、冗談交じりに交わす言葉は、それ相応に重いものを孕んでいる。しかし口にする者は、誰もその重さすら感じていない。 風に乗って散る桜の花びらのように、互いに軽口を叩きながら、それぞれの顔を瞼の裏に焼きつける。 「貴様が死んだら、いまの顔を思い出してやる」 「格好いいだろう、存分に拝んでおけ」 それは暗黙の了解のようなもので、相手の思い出に残されるのならばと、誰も笑顔を惜しまない。気持ちの昂りで紅潮した笑顔を、互いに胸へと仕舞い込む。 「じゃあな」 「おう、じゃあまた」 妙に現実味のある言葉を交わし、二度と会わないかもしれないと、握手を交わして手を振って別れる。 宣戦布告までは不安にも似たものが、黒雲のように胸中を満ちていた。 時間対国力を最大限まで浪費して、貴重な抑止力も失われる。 近い将来、誰かが腕を無くし、大切なものを抱きしめることができなくなっている。 いまこのときに生きている者が、明日には死んでいる。 自分の両手が、判断が、何十も何百も人を殺す。 戦争は……――最悪の最終手段だ。 ――分かってはいたが、そんな理屈は、すべて消え去っていた。 理解していないわけではない。人を殺したいわけでもない。 そういうものではなく、その感覚はただ、目の前にある釦を押したいというような、幼稚な衝動にも似ていた。 思いの純粋さに比例するように、胸は否応なく高鳴った。他人や自分の命を的にして渡り合う事実が、厳然と目前に迫っていることに、喜びすら感じた。 多分皆もそうなのだろう。そのために軍学校への進学を志願し、己を律する衣装に身を包み、その場に両足で立っているのである。 なるべくして、立派な駒となる。死への可能性が低からず存在していることは、十分すぎるほど知っていた。戦場で散るのも、悪くない。 「……死ぬのは悪いと思うぞ」 突然思考を断絶させられる。 はっと我にかえり振り返ると、窓の外から、相嶋が手を振って笑っていた。窓際に歩み寄ると、青い空が目に入った。 宣戦布告したのは昨日であったが、今日の空は底抜けに青かった。 昨日の空の色は、覚えていない。それでもきっと、今日と同じくらいに青かったのだろう。 窓枠に両手を掛けて、悪戯の露見した子供のように、磐佐が小さく笑みを浮かべた。 「悪いか?」 「ああ悪い。戦力が減る。金も手間もかかる。お前の欠員場所を埋めるために、学生が繰り上げで卒業させられることになる」 相嶋の論う点に、思わず磐佐が吹きだした。 「ずいぶんと理詰めで言うんだな」 「いまさら、『お前が死んだら悲しむやつがいる』だなんて感情論で説かれて、納得できるのか?」 彼の言葉を聞いて、磐佐が再び笑う。確かに、現実の戦争というものを前にした軍人に、感情論など甚だ馬鹿げている。 むしろ、安易な言葉ではどうにもならない強い感情こそが、いまの根源になっているのだ。 「そういうお前も、結構中てられてるんだろう?」 笑って指摘してやると、彼は寸の間視線を泳がせて、諦めたように肩を竦めて苦笑した。 否定しないのは、磐佐と同様だからだろう。 どうせ皆中てられているのだ。 それは、嵐の前の静けさなのである。 |