ぶつりと、何かが断ち切れるような、厭な感触がした。熱した鉄を押しつけられたようで、熱いのか痛いのか分からなかった。 苦しいの間違いかと思ったが、すぐに違うと知れた。苦しいという感覚は知っている。独特のせり上がるような感覚は、体が覚えている。 あれではないなと思ううちに、身体から力が抜けた。少し遅れて、灼熱が腹に広がった。呑んだ刃の、僅かに動いたのを感じた。 「……っ」 身体が傾ぐのを止められず、傍の壁に弓手をついた。 女に刺されたとはいえ、言ってみれば相嶋の自業自得である。相手の姿はとうにない。震えながらも駆けて逃げる足音が、遠ざかっていくのが聞こえるだけであった。 「賢明だな……」 女の足の速さに笑い、馬手を腹に当てた。呑んだ刃物の柄が、掌に触れた。刃が動き、喰いこんだ。 (介錯もない切腹なんて、冗談じゃねーな) 異物を掴み、無意識に引き抜く。すると同時に身体の力も一層抜けた。血が一気に溢れ、手がどろりと濡れる。全力で両足に力を込め、ふらりと数歩、前に出た。 「痛って……」 身体を動かすと、全身が脈打つように熱くなった。どくん、どくんという振動に合わせて、傷口がじくりと疼く。動けるだけましなのだろうか。 「……どうすっかな」 背を壁に預け、両手で傷口を押さえながら、相嶋は声にならない声で呟いた。 騒ぎ立てたくなかったが、打開策など浮かんではこない。ついでに昨夜の寝不足も相まって、頭は全く働かない。 再び数歩、ふらふらと歩く。 痛い。 熱い。 眠い。 肩で息をついて、立ったまま暫く休んだ。座ってしまえば、そのまま立ち上がれなくなると思ったのだ。 目がかすんだ気がして、慌てて瞬きをした。コーヒーを飲んだら、傷口から出てくるだろうか。 たちの悪い水兵が出入りする、荒んだ路地の裏なのである。コーヒーなど、ここらでは手に入りそうになかった。水の代わりにアルコールを飲まされそうだ。 (いや、むしろ眠れるか? とにもかくにも……これだけ痛いんじゃ、切腹で死ぬのだけはご免だなー……) 肩で大きく息をつき、相嶋は再び、ふらりと歩きだした。行くあてなどないが、突っ立っていても仕方がない。 幸い金はある。やさぐれ水夫に宿を借りようか。 そんなことを考えていると、路地の向こうから、足音が聞こえてきた。 俯いたままの擦れ違いざま、わずかに煙草が香った。 その香りに覚えがあり、相嶋はようやく、青ざめた顔を上げた。 「……お、お前」 その声に、磐佐は振り返った。 白い服は見覚えがあるものだったが、意味ありげに俯いた相手の顔を覗き込むほど、野暮ではないつもりだ。 声を掛けられてようやく知り合いかと首をねじり、しかし最初に目に入ったのは顔ではなく、真っ赤に染まったその右手だった。 「なっ……どうしたんだそれ! おま……何やってんだ?!」 「よぉ、相棒」 血塗れの腹の上、そこにあるのは見知った顔である。見知ったどころか、ついこの間までともに学んでいた同期生だ。 「刺された。死にそうだ」 「し、死ぬのは待て! ンなとこで死なれたら寝ざめが悪いだろ! とりあえず、病院に」 「病院はいい」 驚愕と焦燥でかすれた磐佐の言葉を、相嶋が妙にはっきりと遮った。身体がふらりと傾ぎ、壁にもたれそうになるのを、磐佐が慌てて腕を伸ばし支えてやった。 「それより、寝不足でさ」 見ればその顔は、苦痛にゆがんでいるわけではなかった。むしろ、油汗を浮かべながらも、うっすら笑っている。余裕を見せつけようとしているのだろうか。それとも痛覚が鈍いのか……そういう趣味をもっているのか。 「騒ぎ立てたくねーんだよ。自業自得だもん、上にバレたら怒られる」 「つったって」 些細なことで、と言いかけたが、結局最後までは口に出さなかった。 怪我より「そんな」ことを気にするあたり、まったくらしいといえばらしい。軍人らしい名誉欲というよりは、おそらく彼自身の矜持の問題なのだ。何があったかは知らないが、彼がそう言うからには、それなりの理由があるのだろう。 「じゃぁどうしろって…………って、あぁもう、しゃぁねぇなぁ……」 「ん?」 「他に手はないんだろ、俺の下宿に来いよ。このまま放っとけるか」 それを聞いて、相嶋の顔が輝いた。 「助かる! お前は一生こういうことに巻き込まれないだろうけど、恩に着る!」 「……ただし、何があったか詳しく教えろよ。一生からかいまくってやる」 |