第二章 縄張 −1−

   表紙  

 毛利陣営に『陶晴賢が厳島支配に乗り出した』という知らせが飛び込んだのは、そろそろ山が春めいてきた2月の終わりのことであった。
「あの男、大内義隆に貰った『隆』の字まで、とうとう捨ておったか」
 元就重臣の福原貞俊が、憎々しげに口火をきる。
 陶隆房が陶晴賢と改名したのはすこしまえのことであったが、同じ思いを抱いていたらしく、居合わせた桂元忠がいきおいよく首を縦にふった。
「まったく、けしからん男じゃ!」
 なお桂元忠は、家老桂元澄の実弟である。
 福原貞俊とは年が近いわりに、やわらかく落ち着いた雰囲気を備えた児玉就忠が、考え深げに掟書きの写しを取りあげた。
「……島内の商いを活発にしようと、そういう腹に見せる魂胆なんじゃろうが……」
 知性に満ちた目が、すっと細められた。
「陶晴賢殿、村上水軍を敵にまわすことになるぞ」

「……どういうことでござるか? 無学なわしには、ちと分かりにくいのじゃが……」
 しばらくの沈黙ののち、桂元忠が、不安げに児玉就忠の顔を見た。
 それを聞いて児玉就忠は考えこむように、親指の腹で数度顎をこすった。
「桂元忠殿も、これまで村上水軍が商人から『警固米』を取っておったことは、存じておろう?」
「それならば、聞いたことがござりますな。その警固米とやらを取る代わりに、海上での安全を保障してやろうと、そういうことなのだとか」
 桂元忠が、ふんふんと頷く。
 それを聞いて児玉就忠も、肯定するように首を縦に振った。
「その通りじゃ。村上海賊は、警固米を納めぬ船を無理に着岸させ、船留をしてでも無理に警固米を徴収していたようでな」
「ほぅ……児玉就忠殿、博識でござるな」
 桂元忠が、感心したように声をあげる。正直直情型を絵にかいたような、どこまでも素直なこの人間に、児玉就忠は『常識の範疇じゃ』という言葉をぐぅっと飲みこんだ。
「フナドメとはなんでござるか?」
 話を聞いていた福原貞俊が、恐る恐る片手をあげた。
「なんじゃ、福原殿も分かっておらなんだのか」
「面目ない」
 桂元忠が呆れると、福原貞俊が照れ笑いとともに頭をかく。それを見て、児玉就忠が福原貞俊へ向き直った。
 このありさまでは、毛利家内で内海を知るものが何人いるか、不安を覚えざるをえない。
「つまり、強制的に出港させない、ということでござる。まぁ海賊が海を支配するのは、他の海でもよくあること。村上水軍どもが警固米を取るのも、間違ったことをしておるわけではない」
 それを聞いて、桂元忠と福原貞俊が、「ほう……」と感心した声をあげた。
「さすが児玉就忠殿、お詳しいですなぁ」
「同じ説明を以前、桂元澄殿に話してさしあげたもので」
「……我が桂家は、体力馬鹿ばかりでござるか」
 桂元忠の言葉に、福原貞俊が思わず噴き出す。児玉就忠が咳払いをして、再び書状を取り上げた。
「それを、陶晴賢殿は禁じたのじゃ」
「は?」
「警固米を認めておったのは先代、大内義隆殿。当代大内義長殿は、そのようなものは認めん、とな」
「……大内の殿様は、大内義長殿であろう? なぜ陶晴賢が、そのようなことを……」
 福原貞俊が首をひねり、桂元忠も眉根を寄せてずいと上半身を乗りだした。
「そうじゃそうじゃ。児玉就忠殿、おぬしは『陶晴賢殿が、村上水軍を敵に回す』とおっしゃった。……あぁもうわけが分からん!」
「お二人とも、難しく考えすぎじゃ」
 児玉就忠が、二人を前に苦笑をうかべた。ようやく本題だ。
「つまり、警固米代わりの安堵料を、陶晴賢自身が徴収するらしいでな」
「……はん?」
 激しく混乱を来たしたらしい、桂元忠と福原貞俊が、大きく首をひねった。
 それをみて、児玉就忠は思わず噴き出しそうになり、それを無理に腹の底でひねりつぶした。要は簡単なことなのだが、二人の顔には『混乱』の二文字が浮き出ている。……多分あとで同じ説明を、兄の桂元澄相手に繰り返さなければならないだろう。
「……要は陶晴賢、大内義長殿の名を借りて、村上水軍の権益を横取りしたのじゃ。……村上水軍め、黙ってはおるまいよ……――」

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