高松城



 熊谷氏、遡れば源平合戦の勇将熊谷直実を先祖に持つ、毛利家に与する勇猛な一族である。

 ――その頭領、名を信直という。

 その髭面を思い起こした瞬間、座して待つ元春の両手に、自然と力が入った。
 緊張している。
 敵に会うわけでもないというのに、自然と肩に力が入った。
「はぁ……」
 からりと咽喉が渇く。緊張のあまりか、声も枯れそうになっている。
「……やっぱり、誰ぞに……」
 ついてきてもらうべきであったかという言葉を、元春はぐっと飲み込んだ。
 初陣を雄々しく飾った毛利家の次男が、傘下の者に会うだけだというのに、臆病なことを言うわけにはいかない。
「……どうってことないわ」
 自らに言い聞かせた声すら、舌先に絡まって声にならない。

 そこかしこに、物語にも名を残す直実公直系、熊谷信直の気配が満ち満ちている。

 目のやり場を決めかねて、思わず外へ目を遣った。
 明るい日差しが縁側で踊っている。
 風流なものに詳しくはない元春であったが、優しい景色が元春の心を優しく吹き靡かせていく。
 思い返せば、ときは初春であった。
 ひらひらと、蝶が庭を横切っていく。

 ――と、その時であった。

 ころころと、小さな手毬が転がってくるのが目に入った。
「……誰かおるんか」
 信直が近付いてくる様子はない。
 息を吐き出してゆっくりと立ち上がり、裸足のまま庭におりた。緊張で固まっていた身体をほぐすように、すっと手毬を取り上げる。
 ……桜色の、可愛らしい品であった。
 姉が持っていたものによく似ている。女子供が近くにいるのだろう。緊張のあまり、周囲の物音すら聞こえていなかった。
(いま誰ぞに斬りかかられたら、あっさり討たれるんじゃないか、俺は)
 いままで気付かなかった自分に呆れかえり、掌の中で数度、手毬を投げ上げた。

 そして周囲を見渡そうとしたところで、おずおずとした足音が、微かに耳に届いた。

「……あの、それ」
「あぁ、これか」

 柔らかい声である。手毬の持ち主であろう。
 元春が、手毬を片手に振り返る。

 わずかに開いた桜色の唇が、
 桃色の頬が、
 春の光を混ぜたような深い茶色の瞳が、

 その刹那、元春を貫いた。



「毛利の、若さま……?」



 蝶がひらひらと舞う、初つ春の出来事であった。