猿掛城廊下
廊下の向こう、庭を前に直立な元就を見、児玉就忠はわずかに首を傾げた。
折よく傍を通り掛かった福原貞俊に気付き、手で招いて近寄ってきたところに、立ちん坊の城主を指し示す。
「……元就様、なにしよるんですかね?」
「え? あ、れ? なんかあったんじゃろうか……」
呼び止められた貞俊も、不思議そうに元就へ目をやった。
その間にも元就は直立不動で、その光景は二人の脳裏に、とある軍記物語の有名な一説を思い起こさせた。
「立ち往生……?」
「弁慶か」
貞俊が、小さな声でその一節を口ずさむ。軍記物は武士のたしなみだが、勇壮なもののふ達の活躍は、ただでも貞俊の心を掴んでいるのである。
そんな貞俊には構わず、就忠が心配そうに、元就へと歩み寄った。
「……元就様、何をしとるんですか?」
「おぉ就忠か」
声を掛けられた元就が、にこりと笑顔を向ける。
多少遅めの結婚だった元就だが、最近は夫としての風格も備わって……きているといいのだが、妻の前での元就は、見ている方が恥ずかしいばかりの愛妻家である。
後ろからついてきた貞俊が、就忠の背中から元就を覗き見、にやりと笑みを浮かべた。
「元就様、昨夜は楽しんどったみたいですねぇ」
「どういうことじゃ」
「隈ができとりますよ」
貞俊が自分の目許を指差した。釣られるように、元就の手が自身の目許へ伸びる。言われて就忠が元就の顔を見ると、確かにうっすらと影ができていた。
「……今度は何を企んどったんですか。またどこぞで戦でも?」
「就忠殿、そんなわけなかろうが。元就様は祝言を挙げたばかりじゃ、あとは言わずとも分かろうて」
二人の言葉を聞いて、元就が照れ笑いを浮かべ頭をかいた。
「一晩いろいろと話しこんどったわい。美伊は賢いおなごじゃ」
「話し……」
元就の言葉に、貞俊が絶句する。何を考えていたのか手に取るように分かり、就忠は咄嗟に話の筋を整えることにした。
「それで元就様、ここで何を?」
「いや実は美以が」
そう言った元就が、ちらりと戸板の向こうの気配を伺った。
一応彼は一城の主であるはずだが、それが廊下に立ちつくす理由が、なぜ彼女にあるというのだろう。
「奥方様が?」
不審に思った二人が声を合わせると、元就の口からぽろりと、気落ちした声が漏れた。
「……ここに、立っとけと」
「……元就様、奥方様に何を言うたんですか……」
「あ、違うんですよ、私が『そこたっといてもらえませんか』ゆうのは、……閉めといてもらえますか、ゆうことで……!」
彼女の言葉に誤解が解けて、
……――さらにその数十年後、
「……元春様、なにしよるんですか」
彼の息子が同じ道を辿ることなど、彼等が知る由もない。
※奥方様は勝手に美伊さんとさせて頂きました。
美伊さんの故郷新庄大朝周辺では、「たつ」で「扉を閉める」という意味の方言があるそうです。