猿掛城



 いきなり使いがやってきて、酒の相手をせぬかという。突然の言葉に、元就のやり方には慣れ親しんだ元澄といえど、眉をひそめていぶかしんだ。
「突然なんじゃい……またどこぞで戦でもあるゆうんか」
 だが招かれて来てみれば、縁側に徳利が置いてあるだけで、特に秘せられた会合をする様子でもない。しかもその隣では、赤く熟れた柿を剥く、元就の姿がある。
 長閑な光景にひとまず安堵して、元澄は足音も高く隣へ並み寄った。
「元就、なにをしておるんじゃ」
「おぉ、来たか元澄。待ち兼ねたぞ」
 笑顔で振り返る主の手元を、元澄は、その隣に座しながら覗き込んだ。
「待ち兼ねたゆうて、柿を剥き終わってもおらんじゃろうが」
「今年の柿はちぃと固い」
 不器用な手つきで小刀を取り落とし、元就が柿を手の中でくるくると回す。
「もぐのが早かったんじゃないんか。貸してみぃ」
 そう言って、元澄が片手を差し出した。元就が柿を渡そうとすると「そっちじゃないわい」と頭を振って小刀のみを受け取る。そしておもむろに、懐へと手を突っ込んだ。
「元澄ももいどったんか」
 掴み出された大振りの柿の実に、元就が感嘆の声をあげた。
「庭の南の、さらに南の枝じゃ。よう熟れとるぞ」
 刃を実にあてがいながら、元澄が自慢げに笑う。
「じゃがあれは、下の枝でも登らにゃたわんじゃろうが。福原の爺に怒られなんだのか」
「爺が怖ぁて、この乱世を渡っちゃいけんわい」
 剛毅にそう断言する元澄に、元就が思わず吹き出した。つい先日、くだんの武将に『戦場の敵より、この広俊のほうがなんぼか恐ろしいですぞ』と言われたことを思い出したのだ。
 と、突然元澄が視線を手元に落としたまま、低く声を絞り出した。
「……で、なんか言うことがあるんじゃないんか」
 その言葉が、元就の耳に届く。すると元就は表情を引き締め、ゆっくりと座りなおした。
 そしてそのまま言葉を捜すように、元澄の手元へ視線をそそいだ。

「……なぁ、わしが野心を持っとるゆうたら、おかしいか」

 毛利家といえば、国人から身を立てたばかりの弱小大名であった。
 吉川、小早川といった小大名のほか、大内や尼子といった強大な国持ち大名に四方を固められ、その存続はつねに危険に曝されている。
 おまけに元就は、その当主ですらなかった。兄の興元が毛利を継ぎ、元就は分家として、多治比の山奥に城を構えている。
 しかしそれでも、元服で鷲から就の字をもらった日から、いやもしかするともっと以前から、元就は野心を抱き続けてきた。深酒に溺れる兄を支えながら、己の才覚で国を手にするのを夢見てきた。愚かしいことだろうか。馬鹿な夢だろうか。
 しかし元澄は、器用に柿を剥きながら、いともあっさりと答えを返した。
「ええんじゃないんか」
「ほんまにそう思うか」
「わしは元就が吉田を狙おうと安藝を狙おうと、反対せんわい」
 それを聞いて、元就はわずかに逡巡し、やがて思いつめたように顔を上げた。
「……日本全土を、ゆうてもか」
「頼もしいのう」
 元澄が笑った。ようやく顔を上げた元澄の手には、小さく等分された柿の実が、つやつやと種を光らせている。
「城を取るじゃの誰を討つじゃの、難しいことは元就のほうが得意じゃろうが。わしは、元就の言うた通りに戦うだけじゃ」
 それを聞いて、元就も少しく笑った。こうして黙々とついてきてくれる信用のおける者が、この世の中で、いかに貴重な存在であることか。
「そう言うてくれるなら、話は早いわ」
 元就が手を延ばし柿の一切れを取り上げると、「じゃろうが。それより肝心の酒はまだなんか」と元澄が膝を支えに肘をつき、二人はまた声をあげて笑ったのだった。