使い走り
灯りが入り始める、黄昏時である。廊下を曲がったところで、少し先に見慣れた後ろ姿を見付け、元就は心持ち足を速めた。
「元澄」
名前を呼ぶとともに、手許の皿の縁で、元就がその背を軽く突いた。
「おぉ、元就か。まだこんなところにおったんかい」
振り返った桂元澄がにやりと笑みを浮かべる。「急がんでえぇんかい」と、視線を廊下の先に向けて促す元澄の隣に並び、元就は手元の皿を軽く掲げた。
「団子はわしが持っとるからな。いくら広良の爺が急かしても、わしが行かにゃ始まらんわ」
「どうせ、酒はもう出しとるんじゃろうが。先に始めとるかもしれんぞ」
「わしは酒は呑まんから、別にえぇわい」
元澄の言葉に、元就が膨れて顔を逸らした。
軽く杯を交わそうと、言い出したのは志道広良であるが、当人は重い腰を上げようとはしなかった。「若者が動くのが筋というもんじゃ」にこにこと朗らかな笑みでそう言い張り、今も縁側の座りが良い場所へ、どっかりと腰を下ろしている。
当主の弟や重臣の嫡男を顎で使うが、嫌味を与えないのは、年齢よりも人柄に因るところが大きいのであろう。当人の元就や元澄にしても、あたかも師範のように日々教え導かれているからこそ、彼の言葉につい腰をあげてしまう。
彼等若者にとって志道広良や、老齢なお元気な福原広俊などは、厄介なお目付け役のようなものなのである。
「偶にはジサマどもの相手もするもんじゃ。そうやって、また茶を濁す気か」
「茶を淹れるのは得意じゃ、濁しゃせん。それに、わしは団子を食うのに忙しい」
嬉しげに手もとの皿を見詰める元就に、元澄が呆れたように肩を竦め、「咽喉に詰めても知らんぞ」と呟いた。そんな元澄の手には、酒の肴になるであろう干した川魚が、皿に数尾も盛られている。
しばらく並んで歩いた後、ふと元就が思い出したように「そうじゃ元澄」と声を掛けた。
「先刻、そこで狐を見てのぅ」
「ほぅ」
「……元澄、ここんとこに尻尾が生えとるんじゃないか」
その言葉とともに、元就の手が伸びて、腰のあたりをぱしりと叩いた。しかしそこから尻尾が出てくることはなく、代わりに元澄の手が伸びて、同じく元就の腰を拳でぐっと強く押し返した。
「元就こそ、実は狸なんと違うんか」
「わしが狸なら、そうそう分からんように化けるわい」
揶揄するような言葉が終わる前に、元澄がひょいと手を伸ばし、元就の手もとの皿から団子を一つ奪う。それを口へ放り込み、「まぁ、わしを止められんようなドンくさい奴が、狐狸なわけもないわな」と言うのに、元就は黙ったまま、干し魚を一尾奪うことで応戦した。
「やめんか、こっちは数が少ないんじゃ!」
「わしの団子を取ったじゃろうが」
一人で食べるつもりだったのか、元就が軽くむくれる。その様子に元澄が、何かを言おうと口を開きかけた。
しかしその先を、ふと考え込んだ元就の言葉が遮った。
「……もしかしたら、あのジサマらにゃ、尻尾が生えとるかもしれんぞ」
「……あるかもしれんな」
元就の言葉に、元澄が低く応じた。海千山千の気風を備えた老齢な者達の腰にならば、揺らめく尾っぽが何本生えていても不思議ではない。
廊下を曲がって姿を現した二人に、それまで何やら話しこんでいた広俊と広良が、軽く手をあげている。「おぉ、こっちは準備ができちょるで」と手招く二人を前に、若者二人の視線は、ジッとその腰へ注がれていた。