とある家臣の話



 なにやら今朝からずっと、「上戸か下戸か」という言葉を聞いている気がするが、これはいったいなんなのであろうか。
 しかもこの言葉、一人が申しているのではなく、上から下まで老若男女と縦横無尽に飛び交っている。
「上戸か下戸か」
「上戸か、下戸か」
 酒を飲むか飲まないかと、つまりはそういうことであろう。館のなかで誰かが誰かに出会うたび、お主は酒をたしなむかと、そればかり聞き合っているのである。
 これはたいそう妙な話だ。
 仮にも同じ主君をもつものであれば、一度も酒席をともにしたことがないなど、あり得ないのではないか。家臣の団結も重要な地方領主であれば、いまさら上戸か下戸かを問わずとも、誰がどの程度の酒をたしなむか知っていて当然なのだ。
 それでも当初は新参の者が多いのではと、辺りをよくよく見まわしてみた。
 しかしどうやらそれも違う。昔からその家臣として名をはせている数多の武将ほど、互いに出逢うたび、さも嬉しそうに問い合っているのである。
「おぬし、上戸か下戸か」
「わしは下戸じゃ。おぬしは、上戸か下戸か」
「おぉ、わしは上戸じゃ」
 もしや何かの暗号か、合言葉でもあるのだろうか。「上戸か下戸か」と問うことで、「近々出陣あるべし」だの「領内に間者が入り込んでいる」だのといったことが、内密にやりとりされているのやもしれぬ。
 いやそれにしても、あまりに堂々としている。それにそのような言葉を、はたして下々のものまで口にするであろうか。
 これは、尋常ならざる事態と言わねばなるまい。

 そう申し上げると、なぜか殿はふっふっと含み笑いをして、問うてきた。
「それはそうと、お主は上戸か? それとも下戸か?」
「はっ……私は恥ずかしながら、酒には滅法弱ぅございまする」
「そうか、ならば餅をたんと食えばよい。今日はともに参ろうぞ」
 そう言って立ち上がり、殿が外出の用意を始める。思えば今日は、何やら御館での用があると聞いたが、そのことであろうか。
 それにしても。
「はっ」
 頭を下げつつ、再び例の問いを……――上戸か、下戸か――……考え直してみた。今の言葉にも、何か意味があるのであろうか。

 しかしどんなに考えても、その意味は、見えてはこなかった。