一矢



 顎鬚をなでながら、元就が難しい顔で遠く小さな的を指差した。
「ふぅむ……ならば、あの的はどうじゃ」
「またずいぶんと、見縊られたものじゃな」
 桂元澄が悠々と笑い、弓をつがえる。
 ぎりぎりと大弓をしならせて、まっすぐに標的を狙った一矢が、弦のはじける微かな音を立てて空気を引き裂いた。
 その動きを目で追っていた元就が、目を的に移すと、そこには先程の矢がまっすぐに突き立っている。
「どうじゃ」
「……まぐれじゃろうて」
 元澄が自慢げに振り返ると、元就が呟いた。揶揄するような眼に、元澄もやはりにやりと笑みを見せ、弓を取り直して矢を取った。
「しゃぁないのう。もう一本見せちゃろう」
「ならばわしも、一矢見せてくれようかいの」
 見ているだけは面白くない。元就が上衣を肌蹴ながら、大股に元澄の隣へ並み寄った。
 そのときであった。
 若々しく凛々しい声が、二人の動きを遮った。
「父上、元澄殿。何をしておいでですか?」
「おぉ、隆元か」
「若。ちょうどよいところに」
 聞くや、二人が嬉しげに振り返る。
 長いあいだ大内義隆のもとで遊学し、先日帰ってきたばかりの隆元は、凛々しくも優しく美しい青年に成長していた。父親である元就にとっても、そして家臣の元澄にとっても鼻高々な、自慢の後継者なのである。
「あぁ……弓の稽古をしていたのですね」
 老練してなお初心を忘れぬとは……という感心した声音に、二人が相好を崩した。目に入れても痛くない隆元からの、素直な感心の言葉ほど、二人の心を擽るものはない。
「稽古というほどでもありませぬがのぅ」
「どちらかというと、腕比べじゃな」
 家臣の言葉に元就が一言足して、何を思いついたのか、にやりと笑った。その笑みを横で見ていた元澄も、元就の言いたいことに気がついて、面白そうな笑みを浮かべる。
「……どうじゃ。隆元も比べぬか」
「そんな、これまで数多の戦場を駆け抜けてきた父上や元澄殿に、どうして私が敵いましょうや」
「いやいや、そうは言うてもこの元澄、もう年でござりまする。それに若の弓の腕、ぜひとも拝見しとうございますな」
「大内殿のところで、どのように弓を仕込んでもろうたのか……この父に見せてはくれまいか」
 年嵩の二人にそうまで言われては、まだ若い隆元には断るすべもない。
 困ったように微笑みながら歩み出ると、元澄が弓を、元就が矢を渡して場所を開けた。
「期待に添えますかどうやら……」
 そう言いながら隆元が立ったのは、先程元澄が居た、小さく遠い的の前である。
「……射易いところでえぇからのぅ」
 心配した元就が、さりげなく言葉を挟んだ。場所を移りやすいように、元澄が、さりげなく視線をそらした。
 しかし隆元は弓を手に、二人に向かってにっこり微笑んだ。
「自慢になるほどのものでもありませぬが……陶殿や弘中殿に仕込んで頂きました。どうぞお見届け下さりませ」
 そして、なんとも美しい所作で、ゆっくりと弓をつがえた。

 元澄が射た矢を真っ二つに割り、的のど真ん中を一矢で射抜いて、隆元は何をなした様子もなくにっこりとその場を去った。
「拙きものを」
 最後に残されたその台詞を反芻して、元就が言葉もなく的を見やる。
「……さすがは毛利の若殿じゃ」
 ぽかんとしていた元澄が上衣を整えると、元就が「立派になったのぅ」と息を吐きだした。




某様へ捧げさせて頂いたもの、再録。