尊敬

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 あとから伝え聞いた話である。
 敵艦が致命的な攻撃を受けると、艦長はすぐに「救助に移れ」と命じた。
 勝ちは決まっていた。沈む危険性のある艦に、人命を残すわけにはいかない。その考え方は容易に汲める。
 しかし相手にも、自尊心というものがあった。捕虜になることは、最も避けるべき事態とされていたらしいのだ。
「捕まれば拷問と恥辱を受け、最悪には処刑されるまでの運命だ。受け入れるわけにはいかない」
 そう言って自決すら匂わせたというのだから、その精神の強さは凄まじいものがある。
 相手の意見を伝令から聞いて、その艦長は考えたのだという。
 要望に応え放っておけば、相手は全滅の大惨事である。このまま自決させるわけにはいかないが、かといって釈放するというのも無理な話だ。
 そもそも、相手の意見も筋は通っている。同じ立場に立ったとき、彼自身はやすやすと部下を敵へ預けるのか。
 ……――その艦長が取った行動は、しかしそこから僅かにずれていた。

「小銃を貸してくれ」
 艦長が、先ほどと同じ言葉を繰り返した。
 招致した敵長が、部下を捕虜にされることに、がんとして首を振らない。そんなことになるくらいなら、一人たりと艦から出さないという。
 どうすべきかと、自艦内でも意見が割れていた。
 無理に引っ張るべきか、言い含めるのか。しかしそんなことが可能なのか。
「俺のを取ってくる暇はない」
 傾いた敵艦が沈むのも、時間の問題だ。場を収めに行くのだろう。小銃で脅しを掛けるのか。
 無論、逆らうことなど思いもよらない。従兵が銃を渡すと、艦長はひとこと「すまん」と言って身を翻した。
 エレベーターは負傷者の移送に忙しい。階段を駆け降りる背を、傘下達は慌てて追いかけた。
 彼はあっという間に、息一つ切らさずに甲板へ登った。そしてすぐに、懇願にも近い口調で、説得にかかった。
「部下の命を、自分に預けてくれないか」
「悪いようにはしない」
「捕虜としてではなく、共に闘った者として当艦へ招きたいのだ」
 しかし異国の士官は、決して首を縦には振らなかった。
「保証もないままに、命を預けるわけにはいかない」
 負ければ死。ここで逃げ帰っても、母国の者に合わせる顔がない。勝利以外の道は死だと、覚悟は決めて来たのだ、と。
 立派過ぎた。敵に命を預けるには、保証がない。
「貴方を信じるための保証が、我々には必要なのだ。見れば貴官は、部下に全てを任せていたようではないか。怪我ひとつない貴官に、すべてを預けることなどできない」
 視界からの情報で判断するなら、その通りだった。
 それを聞いて、数名の兵員が目を見開き、いきり立った。
「艦長は安全なところで安穏とされていたのではない。先の戦で負われた負傷のため、我々がお止めしたのだ」
 そう言い募ろうとした部下を、艦長自身が止めた。
 どうするのか。全員の視線が二人に集中する。同時に彼が、懐から小銃を取り出した。
「わかった」
 撃ち殺す気か……――。
 その場にいた全ての者が、異国の士官当人までもが、男の死を予見した。
 ……――しかし艦長は黙って自分の腕を突き出した。銃口を押しつけて、躊躇いもなく引き金を引いたのだ。
「これでいいんだな。自分の血に免じて、今だけは信じて欲しい」
 鮮やかな赤を左腕から滴らせ、口の端に笑みを浮かべて言い放った言葉を、「信じられない」などと誰が言い放てるだろうか。
 それを見て異国の士官は、息をのみ言葉を失った。唖然としていた、と言ってもいい。

 そんなことがあったと、居合わせた同期から、後日聞いた。
「それくらいの覚悟があってこそ、だよな」
 興奮気味に語る彼は、何度もその瞬間を目の前で再現してみせた。
「当艦にいるあいだは敵味方などない。もちろん怪我の治療、それに酒盛りをしていてくれて構わない」。
 酒代の半分は彼の奢りだったというのだから、男だてらに惚れる気持ちも分からないでもない。
 ……しかし自分は、その艦長を尊敬する気にはなれなかった。

 負傷の報が届いたとき、教官の一人が蒼褪めて、薄笑いとともに椅子へ屑折れたことなど。
「無事に帰るんじゃなかったのかよ……馬鹿じゃないか」
 そう呟いて頭を抱えたことなど、彼等は、知る由もないのだ。


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