暗躍

Back - Index - Next



 後ろ手に扉を閉める。豪奢なノブに掛けられた相嶋の手が、微かに震えた。
(――反吐が出そうだ)
 口の端が微かに持ち上がる。嘲るべき人間がいるとしたら、まさに自分自身だ。
 出自に拘り頼ることを蔑みながら、一方でその出自を利用しているのも、ほかならぬ自分。――それに、それが徒労に終わるかもしれないと、分かってはいた。
 しかし、止める気はなかった。できることはするのが、相嶋のやり方だったからだ。
「ありがとう、ご、ざ、い、ま、し、た」
 声に出さずに、扉の向こうへ呟く。
 言葉の終わりに、今度ははっきりとした嘲笑を浮かべた。政治家というものを、彼はこのうえなく嫌悪していた。
 その相手に愛想のよい言葉を並べ、公爵である父に自分が影響を与えそうな気配を示し、議会に潜む賛戦派の名前を聞き出すのが、彼の仕事だ。

 終戦工作が、彼の――彼等の為すべき任務であった。

 海軍はもちろん、陸軍や官僚たちの中にも、僅かながらに反戦派は存在している。それが相互に連絡を取り始めたのは、開戦直後のことだ。
「長くて――1年。可及的速やかに、終戦を迎えたい。……協力しては貰えないか」
 なぜ相嶋にその連絡がきたのか、それは分からない。しかし相嶋は、相手への信頼と自己の要望を持って、その申し出に頷いた。
 軍機構に身を置いているものとして、相嶋も宣戦布告を不可思議な気分の高揚として受け取った。しかしその熱が去ってみれば、冷静な目にはすぐに分かった。
 この戦争は、無意味だ。
「――どんな戦争も、煎じ詰めれば同じなんだ。ただ言えるのは、……今回の戦争は単なる自衛戦争だ……と、いうことだ……」
 相嶋を引きこんだ男は、暗い目付きでこう語った。
 彼の言った言葉は、真理であった。外交上の話し合いで決着がつかない場合に、戦争がおきる。その戦争は、互いの正義に立脚している。
 自国の立場に立とうと、相手国の立場に立とうと、言うことは同じ。
 ――自国を防衛し、その発展に寄与したい。
「……はんっ」
 自国の発展に寄与したいというなら、戦争は時間と国力と人命を、無意味に浪費する。
 賛戦派が何を考えているのか、相嶋には理解ができない。コマの進め方で勝利や敗北が分かれる、遊興のようなものだと思っているのだろう。その影にどれだけのものが消費されているのか、分かっていないに違いない。
 そんな輩と口をきくのも、相嶋には酷く忌々しいことではあった。
 それでも、誰かがやらねばなるまい。

「……いま、何時だ」
 ちらりと腕時計へ目をやった。
 あと数時間で、所属艦隊の訓練が始まる。得た情報を仲間に流しているうちに、その数時間は過ぎてしまうだろう。
 かれこれ3日、寝ていない。
 休みをとったことになっている以上、下手に疲れを見せれば怪しまれる。巻き込むわけにはいかない。襤褸が出ないようにしなくてはと、気持ちを引き締めて背筋を伸ばす。
 そして何事もなかったかのように、相嶋は廊下を歩きだした。
 ……――守りたいものを守るためなら、どんな無理でも引き受ける。できることはするのが、彼のやり方なのである。


Back - Index - Next




@陸に砲台 海に艦