戦時の務め ※当小説は長編『陸に砲台 海に艦』の外伝作品です(読み切り用として書いています) 仕事帰りの雑踏のなか、軍人二人の背中が並んでいた。少し冷えてきた紺色の空の下、屋台通りの片隅である。 「験直しだ。まぁ飲めよ」 そう言って、相嶋が徳利を傾けた。 「あぁ、すまん」 いまにもこぼれそうな猪口を、磐佐が一口であける。その様子を横目に、相嶋も手酌で猪口を満たした。 詰襟姿の海軍軍服の胸をくつろげた相嶋の隣で、磐佐は脱いだジャケットを椅子の背に着せかけている。シャツの背中から、潮と線香がかすかに薫る。 「それで、反応はどうだった」 相嶋の静かな切り出しに、磐佐は手もとへ目をやった。お通しの煮付けを箸でつまみ、ぬるりとした里芋を二つに切りながら、ぼんやり言葉を探す。 「泣かれるかと思った。でも、頭下げられた。そういう人のが多いんだ」 「そうか」 磐佐は今日、戦死した部下の家族に遺骨を届けた。たくさんの部下の一人ひとりに何をどこまでするかは、個々の判断にゆだねられていた。遺族への手紙のほか、援助やら遺品の整理やら、そういったことを己に課している者は多い。 磐佐に関して言うならば、(遺族への挨拶こそ自分の義務だ)、そう思っているふしがあった。 「母親に気丈に言われたよ、お役に立てたのなら何よりでした、ってな。息子を殺したも同然の相手にだぞ」 磐佐の表情が自嘲を含んだ。同じ皿から牛蒡を取りながら、相嶋が口をはさむ。 「言うまでもないと思うけどな、お前が殺したんじゃない」 しかし相嶋の言葉に、磐佐は気のない風で小さく答えた。 「あいつ、手を伸ばせば届く距離にいたからな」 二人の間に、しばらくの沈黙がおりた。 背後で、四人連れが御愛想を頼んでいる。「今回の海戦はすごかったらしいなあ」と、どうやら先の件について話しているものらしい。 身近の者が戦役に従事していないのだろう、その声はひどく明るい。 相嶋の耳にもその言葉は聞こえたはずであった。聞こえないよう小さく溜め息をついて、相嶋が再び徳利を傾けた。 「お前一人が国を代表できるだなんて調子に乗るな。それにお前だって怪我したんだろ、それでも戦果挙げて帰ってきたんだ。それなのにどうして加害者面してるんだ」 そう言ってふりかえる、相嶋の顔はけわしい。不機嫌や不愉快、そこに心配をまぜ込んだ表情であった。 しかし磐佐の方は淡々と、悟りでも開きそうな気配である。すでに徳利を二本あけてはいるが、その口調ははっきりとしていた。 「加害者面なんかしてないさ。でもまぁ、加害者だっつって国を引っ張り出してこれるわけでもなし、砲弾ぶっ放したヤツ連れてくるわけにもいかないだろ」 「だからって、お前が加害者になるのか」 「俺はやつの上官だし、それに現役だ。また近いうちに戦場に立って、相手さんのところの誰かを殺すんだ」 磐佐が手酌で満たした猪口の水面を、自分でくるくると揺らす。映った顔が揺れて、泣いたように影が歪む。 「これはな、気持ちのやり場の問題だよ。あいつの家族がなんて言おうと、そういう相手が要るのは、お前も分かるだろ」 そう言う磐佐に反論の糸端を見付けられず、相嶋は乾いた唇を舐めた。 「いいか、戦争で起きたことは、一人の人間が背負えるものじゃない。戦争は国が起こすことだ。それに軍人だって人間なんだ。お前や、一個人が背負う必要なんてないんだぞ」 「お前こそ、気遣い過ぎて折れるなよ」 磐佐が笑う。そして追加で頼んだ徳利を傾けて、相嶋の杯に酒を満たした。 なんとなしに相嶋が猪口を覗き込むと、酒の淵から見返す相嶋の顔も、ゆらゆらと歪んでいた。 戻る |